井の中の蛙 ジンベイを知らず

されど、ほにゃららの深さを知る

決断の先延ばし

最近、私の悪い癖を発見した。

悪い癖というか、これが変わるとちょっと生活が変わるのでは、と思う癖だ。

 

それは、【決断の先延ばし】。

 

前々から気付いてはいたが、それこそ「先延ばし」にして長い間見ないふりをしていた。

 

 

無意識に色んな場面で決断の先延ばしをしているので、もはや例も思いつかないのだが、最近こういうことがあった。

 

旦那さんのぼてちんとお買い物デートをしていた時。

別に買いたいものはなく、なんとなくお店が並ぶモールの中をぶらぶらしていた。

たまたま入ったお店で見つけたネックレスが気になった。

 

『めっちゃ可愛いなぁ~。こういうの、欲しかったんだよなぁ~。』

 

ショーケースの前で数分、そのネックレスをガン見。
そのネックレスをつけてみた自分を想像して、ムフフとなった。

 

そして、「保留!」と言って、ぼてちんと店内の別のものを見て、そのままお店を出た。そして他の店を回って帰宅した。そのお店に戻ることはなかった。

 

 

あのネックレス、これを書いている今でももう一度見たいなぁと思うくらいには気になっている。

しかし、「買う」という決断も、「買わない」という決断もせず、保留のような状態になっている。書いている今も、「買わない」とも「買う」とも決められない。

お店でネックレスを見た時に脳内で色々と想像して、それだけでちょっと満足したという面もある。買えなくてもそこまで不満じゃない。そりゃぁ買えたら嬉しいけれど。

 

 

これが私の日常だ。

別に、買うのか買わないのか決めなきゃ!とは思っていない。ただ単に、まだあのネックレスが記憶に残っている、というだけだ。

これが日常だから、ぼてちんもそんな私のことを気にしないし、私自身、特に気にすることもなかった。

 

 

しかし先日、義母とアウトレットに行った時に自分の「決断の先延ばし」の性質がよーく分かった。

 

これもお買い物の時。

義母が入ったお店に私もついて行った。靴屋さんで、義母は義父のためにサンダルを見ていた。私も私で、自分のサイズのコーナーを見つけて物色していた。どのお店に行っても、私の足のサイズが大きいのでなかなか可愛い物が見つからないが、1つ、気になるサンダルを見つけた。履いた様子をぼてちんにも見てもらって「おー!いいやん」との感想ももらった。

 

しかし私は、買う決断が出来なかった。

なかなか出会わない、大きめサイズの可愛いサンダル。

 

なのに、特に買わない理由もないのに、店の外に出た。

 

店を出てぼてちんが「あのサンダル、買わなくて良かったの?」と聞いてくれた。

私が「ちょっと保留!」と返し、ぼてちんが「可愛いのに~。サンダル、ないんでしょ?」と念押しする。

私も「そうなのよね~まぁ保留!」となんとなく返事をして、そのまま歩いた。

 

たぶんいつもだったら、このまま別のお店に行って、結局お店に戻ることなく帰宅し、あのネックレスみたいに『あれ、可愛かったな~』と物思いにふけるのだろう。

 

 

しかし今回は違った。

義母という、いつもとは違うスパイスが効いていた。

 

義母が「買わなくて良かったの?」と聞いてくれ、ぼてちんが「サンダル、前から欲しいって言ってたのにさ」と会話に入る。

 

すると義母がすぐに「じゃあ買いに戻ろうよ!」と言った。

 

最終的に、義母にサンダルを買ってもらい、私の今年の夏のサンダルが手に入った。

玄関に近づくたびに、シューズボックスに入った新しいサンダルが何度も目に入るから、自分が思っている以上に相当気に入っているのだろう。

 

 

義母のあの決断の早さというか、展開の早さにびっくりしたと同時に、私に足りない能力はこれだなと感じた。そして、自分が普段から「保留!」と言って決断を先延ばしにして、いつもなんとなく消えていってくれるのを待っていたのに気づいた。

最初に出てきたネックレスに関しても、このままお店に行く機会がなければ買えないし、ネックレスが売れてしまったら買えない。そうやって“ネックレスが” 消えてくれるのを待っていたのだ。

 

きっと買い物の時以外にも私のこういう癖は沢山出ているはずで、仕事とか、何かのチャンスとかを、私は決断せずに先延ばしにして、結局手に入れることが出来なくなってから『仕方ないなぁ』とぼんやり思っているのだろう。

そうやってこれまで色んなことを諦めてきた。

 

でも今回なんとなく、選択肢が消えるのを待つだけじゃなく、自分から掴んでいくのも面白いのかもしれない、と思った。

 

自分の人生が充実していると感じる時は、自分で物事を決めたという感覚が持てた時だという。選択肢が一つしかない時、人は自分で決めたという感覚が持てず、自分の人生なのに自分でコントロールしている感覚が持てないので、人生への充実感が下がってしまう。

 

これは心理学を勉強していたら分かることだし、業界内でカンファとかしていても当たり前のように語られるものである。そもそも、心理学を勉強せずとも、当たり前すぎる話かもしれない。

でも、今回、しみじみと実体験として感じられて、そして気付きとなって自分の中に入ってきた。

 

私の場合、脳内で幸福感を得られている節もあるので、決断の先延ばし(からの、選択肢の消失)も活用しつつ、自分から掴みにいくという姿勢も新たに取り入れてみたい。

 

久しぶりに義母と会って、いつもと違う空気を感じることが出来たから、こういう気付きを得たのだと思う。

これからも色んな人と出会って、色んなことに実感を持って気付いていきたい。