井の中の蛙 ジンベイを知らず

されど、ほにゃららの深さを知る

励ますということ

昨日、スクールカウンセラーとして働いている中学校の生徒さんと雑談をしていた時、その子がめっちゃ良いことを言っていた。

 

「正直、落ち込むこともたくさんあるけど、落ち込んで何も出来なくなってても結局自分の目標には到達しない。落ち込んでる時も、楽しい気持ちとか明るい気持ちを持つことは出来るから、出来るだけそういう気持ちを出していきたい」

 

2週間前まで、空元気で踏ん張っていた子だった。

「○○でなければいけない」「私が△△しなくちゃいけない」と正義感ばかりが先行し、それが重荷になってしまっているように見えていた。出来ないことをやろうとして失敗して落ち込むタイプの子だった。

 

それが、2週間ぶりに会ってみたら、表情も明るく、何か吹っ切れた様子だった。

聞いてみると、先ほどのようなことを言ってきたのだ。

 

失敗して落ち込んで、傷ついて、悲しい気持ちだけで心をいっぱいにするのではなくて、明るい気持ちもその中に同居させることが出来るし、そうすると少しずつでも前へ進める、ということにその子は気付いたらしい。

 

中学生の成長ってなんと速いものだろう。

そう思いながら、なんだか痛いところを突かれたような気持ちで、自分の私生活を反省しながらその子の話を聞いた。

 

 

失敗した時、やることが山積みになる。

失敗した原因を考え、その対策を考え、再挑戦のプランを練る。書いたらたったこれだけのことだけど、それがなかなか出来ないでいるのは、その前に「立ち直り」というプロセスが必要になってくるからだ。この「立ち直り」に時間や手間がかかる人とそうでない人がいる。

 

先ほどの子の場合、周りの友だちからの声かけや応援がかなり良い風に働いたようだった。

先日体育祭があり、自分の成績はあまり良くなかったが、クラスメイトが「大丈夫!」「良かったよ!」と声を掛けてくれた、とその子は照れたような笑顔を見せて話してくれた。

 

人が立ち直る時に必要なのは誰かの存在だ、というようなことをどこかで聞いたことがあるような、ないような…。

 

でも中学生を見ていると、立ち直る時には誰かの存在が大きく働いているのが良く分かる。それは友だちだったり、先生だったり、親だったり。直接励ましてもらう場合もあれば、誰かを想像して励まされたような気持ちになる人もいる。

 

 

少し前にCMで「大人も褒められたらうれしいものだ。だから褒めよう」みたいな内容のものがあったけれど、実は褒めるってなかなか難しいものだと思う。

 

でも、「励ます」ってどんな関係でも出来ることかもしれない。

大人同士になるとなかなか“ほめる”のは照れ臭いし、なんだか上から目線になってしまって気が引けるけれど、“励ます”のは対等の関係でも出来ることなので変な上下関係を意識しなくても出来るかもしれない。

 

自分自身に対しても同じことがいえそうだ。

自分で自分のことを褒めるのは難しいけど、自分で自分のことを励ますのは出来るかも。自分の良いところなんて分かんないけど、『大丈夫だよ!』って自分を励ますのは出来る気がする。

 

自分にも、他人にも、”励ます”というのをちょっと意識してみたい。