井の中の蛙 ジンベイを知らず

されど、ほにゃららの深さを知る

「好きにして良いよ」と言われてどう感じるか

ぼてちんの職場での話。

子どもに「好きにしたらええで」と言うと、そのうちの一人が「なんで?!怒ってるの!?」と言ってきたらしい。ぼてちん、びっくり。

 

ぼてちん🐸「なんで“好きにしたらええ”という言葉で、怒ってる可能性があるんやろう?」

 

 

その子の気持ち、ちょっと分かるなぁ…と思ったので、今回はそのことを書いてみようと思う。

 

 

私の母は「好きにしなさい」と良く言う人だった。

私にとってこの言葉は恐怖でしかなく、昔からこう言われるのが嫌で仕方なかった。

 

母が「好きにしなさい」と言う時には、

・私の言う通りにしなさい

・これだけ言っても従わないのなら、もう勝手にしなさい

・その代わりあなたのサポートは一切しません

という意味が含まれているように感じていた。

 

最初の頃は母の言葉の通り、自分の好きにしていたのだが、まぁ昔から不器用でおっちょこちょいな性格なので失敗することが多かった。

失敗すると必ず「なんでそんなことをしたの」と怒られ、呆れられ、そして、最初に母が提案していたやり方をすることになるのだった。失敗自体も相当イタイことだったが、それ以上に、母の冷たい怒りにはこたえた。

 

私が「こうしようと思う」と言って、母が「好きにしなさい」という時には、すでに母はめちゃくちゃ怒っていた。見捨てられる恐怖を感じた。おそらく母が想定するやり方と私がしようとしていることが違っていたのだろう。好きにして良いわけもなく、私はすぐに考えを改め、母の考えるやり方を実行するようになった。

 

 

ぼてちんは良く「好きにしたらええ」と言う。

 

付き合い始めの頃は、普通にその言葉が怖かった。好きにして良いわけがない、と反射的に思った。

すると、ぼてちんの期待する答えは何だろう、どうすれば怒られずに済むだろう、という疑問で頭がいっぱいになる。考えても答えが出るわけもなく、しかし考えないわけにもいかず、考えすぎて結局何も出来ずに、中途半端な結果となって、ぼてちんに叱られることが多かった。

 

ぼてちんは、まさか私がこんな風に考えてしまっているなんて思ってもいないので、ただただ私の中途半端な取り組み方とその結果に呆れていたのだろう。

 

そして私自身、ぼてちんの「好きにしたらええ」を、母の言う「好きにしなさい」と無意識に重ね合わせ、同じものとして扱っていたことに気付いていなかった。

 

 

最近になってようやく、ぼてちんの言う「好きにしたらええ」という言葉と、私が今までに浴びせられた「好きにしなさい」が異なることを知った。

そして、実際に好きにやってみて、その後にぼてちんが怒る(というか指摘する※)のは、失敗の原因である“私の考えの浅さ”や“甘さ”に対してであることも分かってきた。母のように、自分(母)の考えに従わなかったことに怒っているわけではないということが、やっと分かった。

 

(※ぼてちんは身体が大きく、声もデカいし、バリバリの関西弁でまくしたててくるので、ちょっとした指摘でも怒られているように聞こえるのだ🤣)

 

 

ぼてちんは失敗すること自体には怒ったりしない人なので、ぼてちんに「好きにしたらええ」と言われると気楽に失敗できて良い。まぁ本当に大抵は失敗に終わり、「ちょっと考えたら分かることやろ」と指摘され、自分のアホさ加減を知って落ち込むことになるのだが…。

 

 

「好きにしたら良い」という言葉をどう感じるかは、その人がこれまでにどんな人からどんな風に言われてきたかによって全然変わってくると思う。

同じ言葉でも、その言葉に含まれるニュアンスはその時の状況や相手によってかなり異なる。だからコミュニケーションは難しくって面白いのだろう。