子どもがする“発見”の大切さ
昨日、子どもの頃の発見について、恐ろしくしょーもないことを書いた。
発見というのは、人から教えられたことではなく、自分で見つけたことなので、衝撃も大きく印象にも残りやすい。
子どもは発見の連続で成長していく。毎日が発見だ。
しかし、最近はどうも大人が色々と入れ知恵していることも少なくないようだ。
これだと、発見は出来ない。知識の吸収に過ぎない。
もちろん、知識を誰かから教えてもらい、それを吸収することも大切なことではある。それをきっかけに、色々と分かることが増えていくし、発見にも繋がる。
しかし、知識を教えることは(少なくともその知識に関してだけ言えば)その子が自ら発見する機会を奪っているということになる。
教える側の人間はそのことを理解しておく必要があると思っている。
私は現在、治療的家庭教師として、様々な問題を抱えた子どもたちに学習支援と必要な時には心理ケアをしている。
学習支援の時も、心理ケアとしての面接の際にも私が気を付けているのは、なるべく本人が自ら発見出来るようにサポートすること。
大人の側がいくら教えても、納得しなければ子どもは取り入れない。
一番の納得は、自分で発見することだと思っている。
もちろん、時間的な理由や、様々な制約があり、知識として教えることも多い。
明日テストだというのに、色々と調べたり考えたりして試行錯誤することを強制するのはナンセンスだ。
そんなことは、テストが終わってからでも良いのだ。
時間が許す限り、なるべくその子自身が自分で色んなことを発見してほしいと思っている。
それが必ずその子の力になるからだ。