井の中の蛙 ジンベイを知らず

されど、ほにゃららの深さを知る

相手が子どもだからって適当な受け答えしてんなよ!って話

私は今、中学校でスクールカウンセラーをしている。

高校生か大学生の頃に「人が成長する」「育つ」ってことに不思議を感じ(『成長って何なの?』っていう疑問)、一番成長が著しい時期である“子ども”を対象とした仕事がしたいと思い始めた。

 

“子ども”と“成長”が組み合わさる仕事と言えば、王道なのが「教師」。学校教諭や保育士、幼稚園教諭などがぱっと浮かんだが、全然しっくりこなかった。理由はただ一つ。学校の先生って嫌いだったのだ。大嫌いだった。

 

そんな私が今は学校で働いているのだから、人生って何が起こるか分からない。

 

 

私の中で「学校の先生」というのは、理不尽を押し付けてくる人、という印象だった。

 

例えば小学校3年生の時。

シャーペンが禁止だった。でも私はどうしてもシャーペンが使いたかった。だって書きやすかったから。鉛筆の軸の細さが手に馴染まなかった。もう一回り太いものが良かった。

 

私はいつも先生にバレないようにこっそりシャーペンを使っていたが、まぁそりゃバレていた。

このまま野放しにしておいてもらえるわけもなく、先生はわざわざHRの時間を使って再度シャーペン禁止のルールをクラス全体に徹底しようとした。

誰かが「どうしてですか?」と尋ねた。私はその子に心の中で拍手した。『よく聞いてくれた!私も理由が知りたい!!』 すると先生は「子どもの筆圧ではシャーペンの芯が折れてしまうから」と言った。

 

この答えに、私は心の底からがっかりしたのを今でも覚えている。

 

普通にクラスの子たちも「えー」「折れないよー」「大丈夫なのにー」と口々に言っていた。

私も心の中で思っていた。

『いや、実際使えてるから…!!!折れへんから…!!!少なくとも私は使えてるから!!!』

 

いつもシャーペンを使っていて、芯が折れることなんてなかった。

むしろ、鉛筆はすぐに先が丸くなるし、なのに8mm四方の小さなマス(原稿用紙とか)に字を書かせようとしてくるし、絶対にシャーペンの方が書きやすいだろう、と沸々していた。

 

 

シャーペンが禁止の理由なんて、完全に学校側の都合だ。

大人になった今考えてみても、それしか思いつかない。

子どもの成長を考えた際に、シャーペンがNGな理由はない。そりゃ小さい子に最初からシャーペンを渡すのは間違っている。クレヨンから始まり、鉛筆になり、シャーペンになる。しかし子どもの成長スピードなんて個体差が半端ない。小学3年生だろうが、鉛筆ゾーンをとうにクリアしている児童もたくさんいたはずだ。

 

 

あと思い出すのは小学校4年の時。

突然、担任の先生に「話がある」と放課後居残りさせられた。絶対に良くないことだった。雰囲気で分かった。でも私は基本的に目立たず、反発もせず、おとなしく過ごしていた方だったので、怒られる理由が全く分からなかった。

 

放課後の教室に私と先生の2人っきり。

私は先生に連れられ、教室の真ん中に行った。私の座席だ。

 

すると先生は「昨日、みんなが帰ってから机を綺麗に並べていたら、あなたの机がやけに重くて」と話し始めた。「なんでこんなに重いんだろうと思って机の引き出しを見たら、教科書が全部入ったままじゃない」と。

 

『なんで勝手に開けるねん』が第一印象。『私の机やぞ。他の子の引き出しも開けてるんかいな、この先生は。気持ち悪い』

 

そう思いながら「はい…」と相槌を打った。

正直、この時点で何が悪いのかが私にはまったく理解出来ていなかった。単純に、先生に自分の机を勝手に見られたことが気持ち悪いと思っただけだった。

 

「どうして持って帰らないの?勉強できないでしょう」

 

ここでようやく、『あ、なるほど。置き勉しているのを怒られているのか』と気付いた。

しかし馬鹿正直な私は、馬鹿正直に置き勉の理由を話した。

 

「家に教科書のコピーがあるんです」(嘘じゃない)

 

この答えを聞いた先生は一瞬驚いたような顔をした。私はその変化を見逃さなかった。

「全教科のコピーがあるので、持って帰らなくても勉強はできます。やってます」「ノートだけ持って帰っています」と重ねた。実際、教育熱心で厳しい母に育てられていた私は毎日ちゃんと宿題も提出していたし、なんなら成績もトップだった。

 

まぁでも、こんなことを言う生徒が可愛いわけはない。

先生は一瞬で怒りスイッチが入り「コピーがあっても、全部持って帰りなさい!」と言い放った。

 

これほど意味不明なことはなかった。

先生が先に示した「学校に教科書を置いていたら→家で勉強できない」の方程式を崩したはずなのに、それが通らなかったのが不可解で仕方なかった。

 

その先生のことは前々から嫌いだったということもあり(若い女の先生で、お母さんと仲の良い生徒を露骨に可愛がっていた)、それ以上は何も言わずにランドセルに教科書を詰め込んだ。

先生はその様子を見て、職員室に戻っていった。

 

次の日からは、教科書を隠す場所を変えた。先生に机の引き出しを開けられる可能性があるということを知った私は、見られても支障のないものだけを机の中に残し、あとは“体操服BOX”に入れた。ついでに変な絵を描いて机の引き出しに入れておいた。先生が引き出しの覗いて、びっくりすれば良いと思った。

 

今になって振り返ると、あの先生は今の私よりも少し年下で、教師3年目くらいの先生だったのではないかと思う。結婚したばかりの先生だった。しばらくして産休に入ったから、体調的にも精神的にも不安定な時期だったのだろう。

 

 

まぁこんなことがあり、私にとって学校の先生(特に小学校の先生)というものは人が嫌がっていることを押し付けてくる存在であるという認識をしていた。

 

 

大人と比べて子どもの方が考え方はシンプルだ。良くも悪くも知識が少ないからだ。

だから、特に禁止理由を子どもに伝える時は、その理由が本質を突いたものでなければならないと思う。

 

何を言っても「はー?!」とその場では反発するだろうが(そりゃ子どもだから)、大人になって振り返った時に『おー、なるほど』と思えれば、それってとてつもなくすんばらしいことだろう。

 

社会人になってからずっと、子ども(小学生から高校生まで幅広く)と関わる仕事を続けているが、叱ったり、何かを禁止する時にはいつも『本当にこの禁止ルールは子どものためなのか?』と頭を使っていたが、それは、こういう経験が子どもの頃にあったからか、と今はじめて繋がった。

自分の言葉が、何年も後になってその子どもの頭の中でふと繋がってくれれば、それほど嬉しいことはない。