修論執筆の1週間⑥(最終回)
>>>昨日のつづき。
>>>1日ほぼぶっ通しで執筆をしていた私。少し眠ることにしたわけだが…
パチッと目が覚め、時計を見ると4時だった。外は薄暗い。
まさか…夕方?!?!半日以上寝てしまったのか?!?!
恐怖を感じながらケータイを確認する。
なんと、31日の早朝だった。つまり、眠ろうと決めて目を閉じてから1時間も経っていなかった。それなのに、私は8時間くらい寝たような、とてつもない回復感を得ていた。
最高だ。
私は冴える頭と、無尽蔵のスタミナを手に入れた。
なんとこんな状態が、1月2日の朝まで続いた。
30日の朝から完全に集中力が開花し、31日、1日、2日とほとんど睡眠も食事も摂らずに執筆にエネルギーを注ぎ込んだ。
全く眠気を感じず、そして空腹感も感じなかった。ずっと同じような体勢なので、身体の痛みを感じることもあったが、それに悩むことはなかった。すぐに切り替えて、また修論の世界に行ってしまうからだ。
この4日間で、私の睡眠時間は合計3時間ほど。食事も、カントリーマアム4,5枚だった。
そしてこの4日間のあいだ中、『無敵』という感覚が常にあった。
頭も冴えているし、身体の疲れも感じない。寝ないでも作業が続けられる。お腹が空かないので食事に時間を取られることもない。何も怖いものがなく、まさに『無敵』状態だった。
”無敵状態”が4日間も続いたおかげもあり、1月2日の朝に修論が無事完成した。私はすぐに先輩と指導教官に修論データをメールした。
そして、意気揚々と、私はそのまま実家のある大阪に帰省することにした。
マンションから歩いて15分くらいのところに最寄り駅がある。その駅から東京駅までは20分ほどだ。
私は修論からの開放感を胸いっぱいに抱きながら家を出た。
実家でお雑煮を食べよう、買い物に行こう、と色んなことを考えていたら楽しくて仕方なかった。『無敵』すぎて、この4日間の私の睡眠時間と、摂取カロリーのことなんてまったく頭になかった。
10分ほど歩いて駅が見えた時、突然目の前がチカチカっと光ったかと思うと、目の前の道が歪み、真っ白になった。そのまま倒れてしまいそうになるのを踏ん張り、歩道の脇に並ぶガードレールに手をかけた。
1月2日の朝10時だ。人通りも車通りも、いつもよりずっと少ない。人も車も全然見えない。こんな所で倒れたら、誰も助けてくれない。意識が朦朧とする中で、その意識を手放さないようにただただ必死だった。
こんなことになる意味が、まったく分からなかった。意味不明だった。
しかしすぐに、この4日間、自分の身体を酷使したことを思い出した。
そういえば全然寝てなかったし、ご飯も食べてなかったんだった…
膝に手を置かないと立ってられない。本当は地べたに這いつくばりたいが、それは出来ない。やばい人すぎる。
家に戻ろうかと思った。こんな状態で大阪になんて行けるわけがない。
しかし、家に帰るためには、来た道を戻るしかない。それは絶対に不可能だと感じた。10分程度の道のりだが、今の私では何十分もかかるに決まっている。
行くも地獄、帰るも地獄。
駅のすぐ近くコンビニがある。あと少し歩けば、とりあえずそのコンビニには行ける。
そこでウィダーを買おう。とりあえずカロリーを摂ろう。そしてリポDを買おう。栄養を入れよう。
私は今にも倒れ込みそうになりながら、膝に手をついたまま、腰を曲げて、死にそうな顔をしながら、必死にコンビニに歩みを進めた。
コンビニ店員さんは、私が膝に手を突きながら腰を曲げて必死に歩く姿を見てぎょっとした表情をした。めちゃくちゃ恥ずかしかったが、そうも言ってられない状況だった。
ウィダーとリポDを2つずつ購入し、コンビニの前ですぐにウィダーを飲んだ。
少しずつ少しずつ、胃を驚かさないように、ちびちび飲んだ。ゼリーを噛んで飲んだ。
あっという間にウィダーのエネルギーが身体に吸収されていくのが感じられた。
そしてすぐにもう1つのウィダーも飲んだ。これでとりあえず、東京まで行けるような気がした。
東京に出て、新幹線に乗り、新幹線の中でリポDをこれまたちびちび飲んだ。そして大阪までの2時間半を爆睡した。
そんな感じで、私の修論執筆は幕を閉じたのだった。
今思うとあれは完全に「躁状態」だったと思われる。
躁うつ病とか、躁病とかあるが、躁状態にいる人はきっとあんな感じなんだろうなと思う。そして、あの「無敵」状態になったら、確かに何も怖くないし、自分が今危ない状態になっていることに気付きにくいだろうな、と実感した。
その後、あれほどの「無敵感」は感じたことがない。
正直あまり感じたくない。あれは命を無意識に削ってしまっているような感じがしたから。
冒頭で「アホな体験」と書いたが、まぁ結果的に何事もなく終わったから“アホな経験”として話せたが、人間は何かの拍子に、知らず知らずのうちに、ここまで身を(命を)削ってしまうということでもある。
そういうこともあるんだということは心理士としてきちんと頭の片隅にとどめておきたい。