井の中の蛙 ジンベイを知らず

されど、ほにゃららの深さを知る

修論執筆の1週間

今から4年ほど前、私は修論執筆に際してアホな経験をした。
今回はそのことを、当時を思い出しながら書いてみたい。

 

それは、修士論文執筆で追い詰められた時のことだった。あと1週間で書き上げなければいけないのに、完成度10%という状態。追い詰められすぎていた。

 

膨大なデータや資料。先輩方の修論フォーマット。

ノートPC画面には色んなデータが映し出されていて、あっちをクリック、こっちをクリック、挙句の果てには画面を増やすためにTVまでケーブルでつないだ。ノートPCの横にはタブレットも置いてある。

もちろん、作業テーブル(といっても、一人暮らし用の小さなテーブルだ)の上にも紙媒体の資料が敷き詰められている。床にも広がっている。

まさに、私の頭の中のごちゃごちゃ状態が、そのまま外在化されたような光景だった。

 

卒業がかかっている。なんでも良いから書き上げないと。
書き上げられずに卒業出来ないなら死んだ方がましだ。

これくらいのことは思っていた。

 

卒業を遅らせて修士生活をもう1年することも、それは全く可能である。

そういう先輩もこれまでたくさんいた。

 

でもこの2年間で私は痛いほど良く分かった。

自分に研究はほんっっっっとうに向いていない。研究なんてこれ以上したくない。論文なんてこれ以上書きたくない。学会発表も絶対にしたくない。

研究は、したい人が、出来る人が、向いている人が、好きな人が、すれば良い。

 

修士生活を続けるということは、研究生活を続けるということである。

それだけは避けたかった。こんな生活、一秒でも早く脱出したかった。

 

努力だけではどうにもならない“向いていない”“好きになれない”という壁にぶち当たり、私はとにかく必死に修論を書き上げようとしていた。

 

修論の提出日は年明けの1/8だった。

私はどうしてもその1週間前にはある程度の完成形にしたかった。

先輩や指導教官に見てもらい、その意見を反映させるとなると、1週間は欲しいと思ったからだ。1週間あれば、おそらく余裕をもって修正できる。

そのためにも、出来れば1/1までに修論を書き上げる必要があった。

 

一人暮らしのマンションの一室。

誰も食事の準備なんてしてくれない。誰も洗濯なんてしてくれない。誰も部屋の掃除なんてしてくれない。

完全に、自分との闘いである。

 

残された時間はあと7日だ。

 

>>>いよいよ本格的な修論執筆生活!明日につづく>>>