井の中の蛙 ジンベイを知らず

されど、ほにゃららの深さを知る

こんな大人になりたいな

大学生の頃、まさに就職活動が始まって間もない頃、友人が就職面接対策として「尊敬する人は誰ですか」の答えを考えていた。

 

私は大学院に進学するつもりでまったく就職する気がなかったので、そういう就職面接でよく聞かれるような質問について考えたことがなかった。尊敬する人かぁ…と悩んでいると、案の定、友人に「尊敬する人、教えてよ」と言われた。

 

友人はすぐに数名の人物の名前を挙げた。

歴史上の人物ならこの人、実際に自分の周りにいる人ならこの人、という感じで。

そして、「両親のことも尊敬しているけど面接ではそういう答えが多いらしいから、周りと差をつけるためにも別の人を考えておく必要があるんだよね~」と付け加えた。

 

 

友人の答えを聞き、私は強いショックを受けた。

友人は両親というとても身近な人物を尊敬する人に挙げていた。それなのに、私は尊敬する人を一人も挙げることが出来なかった。

 

誰かを尊敬することが出来ていない自分が、もっと言えば一番身近な存在である両親のことさえ尊敬することが出来ない自分が、大変薄情で、他人のすごさを素直に認められないひねくれ者であり、他人のことを大切に思えていない人間であるように思えた。

 

 

「尊敬する」という言葉の意味は知っている。

その言葉が持つ感覚も私の中にある。

だけど、私の持つ「尊敬する」という感覚にぴったり当てはまる人が思い浮かばない…。

 

もしかして、私の「尊敬する」という感覚が間違っているのだろうか?

だとしたら何が間違っているのだろう。どう訂正すれば良いのだろう。

みんなはどうしてそんなにたくさん「尊敬する人」がいるのだろう。

どうして私は人を尊敬できないのだろう。

私は無意識のうちに自分のことを誰よりもすごい人間だと思い上がっていたのだろうか。

 

 

こんな風に色んなことを考え、悩み、そうして月日は流れていった。

就職面接で「尊敬する人について教えてください」なんていう質問に出会うこともなく、日常生活でもそんな話をする機会はなかなかなく、私は無事に社会人になれた。

 

社会人5年目となる今、驚くことに私の周りには尊敬する人がたくさんいる。

旦那さんであるボテチンはもちろん、そのご両親のことも、職場で出会った先輩や、後輩にだって尊敬する人がいる。

そういう人たちと接していると『こんな風になりたいな』『この人のように生きたいな』と思うことがたくさんある。

 

あの時と何が違っているのだろう。

きっと私の中の何かが変わったのだろうけど、その「何か」は何だろう。

 

何かは分からないけれど、一つ確かなことは、誰かと接していて『こんな風になりたいな』と思うことが増えた今がこれまでの人生のなかで一番楽しいということ。昔は昔で存分に楽しんでいたし、あの時もあの時で楽しかったけど、その記録は更新されつづけていてやっぱり今が一番である。

これからもたくさんの人に出会って「こんな風になりたい」って思いながら生きていきたい。

 

 

 

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