当事者研究【疲れが分からない】
(※これは私自身の体験であり、すべての人に当てはまるわけではありません)
朝から晩まで働き、家に帰って「ふぅ~疲れた」とつぶやき、ビールを少し飲んで、『早く寝たいなぁ』と思う。
これが「疲れ」であると私は思う。
疲れの中でも上質な疲れ。良い疲れ。
身体が、早く眠って回復したい…!と叫んでいる。
このような疲れを、私は最近になってようやく感じることが出来るようになった。
これまでは疲れを感じなかった。
いや、疲れている感じはしていたが、それが本当にそうなのかが分からなかった。
言っている意味が分からない人も多くいるのではないかと思う。
「疲れている気がするけれど、それが本当にそうなのか分からない」…???
私自身、言葉にしてみると意味不明だと感じる。
言葉だけを見ると、本当に不思議なことを言っている。
多くの人は、『「疲れている気がする」のであれば、それは疲れているのだろう』と思うだろう。
多くの人は、「本当にそうか(疲れているのか)分からない」という言葉を見て、疲れているかどうかを吟味することへの違和感を抱くだろう。疲れているかどうかを吟味しなくても、疲れているかどうかはすぐに分かるのが当たり前だからだ。
しかし、以前まで私は、本当にこのように感じていたのだ。
疲れている気はする。たぶん疲れている。
でも、もしも誰かに「本当に疲れているの?」と確かめられたら、自信がなくなる。もう少し頑張れる気がする。もう少し頑張れるということは、疲れていないということなのだろうか、と思う。
いつから私は疲れに対してこのような感覚を抱くようになったのだろうか。
きっかけは思い出せないが、ずいぶん長い間このように感じていた気がする。
このような疲れ方は、先述の“上質な疲れ”とは真逆の、“危険な疲れ”だと私は今になって思う。
周りの人が「大丈夫?」「疲れてる?」と声をかけたくなるくらいに、疲れが出ている。態度が違ったり、言葉遣いが違ったり、顔色が悪かったり、笑顔が少なかったり。
なのに、「大丈夫?」と尋ねられて少し考えてみると、大丈夫な気がする。もう少し頑張れる気がする。だから「大丈夫」と答える。
何かを他人に気付いてほしくて「大丈夫」と言うわけではない。本当にその時は「大丈夫」だという気がするのだ。
今思うと、大丈夫ではなかったのだろう。
身体はともかく、心が完全に疲れてしまっていたのだと思う。
最近「疲れ」が分かるようになった。
休みたいなぁと思うようになった。眠たいなぁと感じるようになった。
これは、非常に大切なサインだと思う。この感覚を思い出せたのは、本当に幸いだった。
心が疲れて、その疲れが慢性化すると、「疲れ」の感覚が鈍くなる。
私は、疲れの感覚が鈍くなった時の“危険な疲れ”の感覚と、それとは対照的な“良質な疲れ”の感覚とを、どちらも経験した。
その結果、とても単純なことを知った。
それは、どちらの疲れも「休む」ことが大事だということだ。
危険な疲れが慢性化してしまうと、休む時間がかなり必要だ。
眠るだけでなく、日常生活の中でのんびり休養することも必要になる。回復に結構な時間がかかってしまう。私の場合、半年ほど時間がかかった。半年もの間、仕事はせず、家事も手を抜いた。時々仕事をして、時々家事をして、そんな生活を半年して、ようやく心が元気になったのが分かった。
今の時代、日常生活の中でのんびり休養する、ということが出来なかったりする。忙しすぎるから。
だから、なるべく“危険な疲れ”にならないように、あらかじめ対策を立てておきたいところだ。
そのためにも、まずは身体を休める。
疲れていない気がしていても、休む。眠る。家事をサボる。怠ける。
それで良いのだ。むしろ、それが良いのだ。
なるべく疲れは慢性化させないようにしていきたい。