井の中の蛙 ジンベイを知らず

されど、ほにゃららの深さを知る

「頑張れば出来る」の落とし穴

大学院生になるまで、何をするにも常に全力疾走だった私。

自分の苦手なことや嫌いなことでも「全力疾走」という隠れ蓑を使って乗り切っていた。全力疾走なので確かに疲れも半端ないが、全力疾走だから『苦手だ』とか『嫌いだ』とかいう感情にも向き合わずに済んだ。全力疾走だから、失敗してもそれほど怒られることもなかった。むしろ助けてもらえることの方が多かった。「全力疾走」は、本当は弱くてドンクサイ私をカモフラージュしてくれる貴重なアイテムだった。

 

しかし、大学院生になって、自分の能力以上のことが求められるようになった。

教授の言っている話が分からない、先輩のアドバイスも分からない、授業もチンプンカンプン、初めての上京で土地感覚もないし頼れる友人もいない。
分からないこと尽くしで、これまであらゆる局面を「全力疾走」で乗り越えてきた私も、入学後2か月で息切れしてしまった。息切れというか、「全力疾走」をしても全然成果が出なかった。走っても走っても、求められるゴールが遠かった。

 

ここへ来て初めて、自分のこれまでのやり方が通用しないことに気が付いた。

どんなに頑張っていても、助けてくれる人はいなかった。いつも一人で何かと戦っているような、そんな感じがしていた。

 

幸運にも担当の教授は私を大変可愛がってくれた。「元気があって良い」「それで良い」と言ってくれた。そして「東京という土地柄も関係しているのかもしれない。関西とは人間関係の勝手も違うだろう」と教えてくれた。「東京は、そしてこの大学は、かなり競争意識が高い。関西ではみんなで協力するのが当たり前だったかもしれないが、ここではそれは難しいかもしれない。異世界に留学してきたと思いなさい」と笑った。

 

私の悲惨な大学院生活を支えてくれたのは、担当の教授だけではない。同期の存在も大いに助かった。その中でも、私と同じく関西出身のY君は心強い存在だった。

 

彼は常に落ち着いていて、めちゃくちゃ穏やかな人である。課題や実習が積み重なると「やばいわ~」「もうイヤや~」とか言うが、それが全然やばそうじゃない。『絶対大丈夫やん』といつも横で思っていた。結果、やはり彼はいつも大丈夫だった。

 

彼は親しみやすいだけでなく、能力も高かった。色んな雑務もそつなくこなし、もちろん専門知識もきちんと備わっている上に英語もペラペラなので重宝される人材だった。

 

そんな彼に、一度だけ質問をしたことがある。

「どうしてそんなに余裕があるの?」

 

私の周りの先輩方は総じてレベルが高かった。完全に雲の上の存在だった。でも、余裕のある人とない人がいるように感じていた。

全般的な能力が高いからといって余裕が生まれるわけではないということは、彼を見て知っていた。

 

彼の答えは、当時の私にとってとても意外なことだった。

まず「そんなに余裕はない」と笑われた。その答えは、周りとのレベルの差に震えていた私をほんの少しだけ安心させた。
そして「6割くらいの出来栄えでOKって思ってやっている」と教えてくれた。さらに私がしんどくなっている原因も教えてくれた。「頑張ったら出来る、は自分の本当の能力じゃない」。

 

彼の言い分はこうだ。

★6割の出来栄えでOK、と思っているので、先生や先輩にダメ出しされてもあんまり凹まない。だって6割だから。

★6割の状態で投げるからレスポンスは速い。そしたら色々と悩む時間も無くなる。投げたものが返ってきてからまた考える。

★6割の状態が自分の今の実力。それ以上のことは今は出来ない。これは仕方ない。

 

この最後の【6割の状態が自分の今の実力】という考え方が、当時の私にとっては目からウロコだった。衝撃だった。あまりに衝撃的すぎて全然理解できなかったし、受け入れられなかった。

 

それまでの私は「頑張ったら出来るのに」「やろうと思ったら出来るのに」とうじうじ悩んだり、先輩にダメ出しされて傷ついたりしていた。『本当はもっと出来るけど、今は調子が良くなくて出来ないだけだもん』と本気で思っていた。

だからいつも “本当の自分” が戻って来るのを待っていた。今の自分の状態は40点くらいだけど、いつもなら80点くらいのパフォーマンスが出来るからそれを目指さなければ…!と燃えていた。そして当たり前のように80点に到達するわけもなく、落ち込んだ。その上、出来もしないことをやろうとするから体力だけが無駄に消費されていた。

 

今思うと、私の全力疾走体質は大学院入学後2か月で完全に息切れしていたのだから、私の本来の姿(最高の状態)を知っている人なんていなかったのだ。傍から見れば「“今は”調子が悪いだけ」ではなく、「この人はこういう人」という状態だったのだろう。つまり、最初から私は “40点の人” だったのだ。

 

まぁでもやっぱり【6割の状態が自分の今の実力】という考え方は、当時の私には実感を持って理解することが出来ず、私は全力疾走と息切れを繰り返しながら、どうにかこうにか大学院生活を完走したのだった。

 

今になってあの時の自分を思い返すと『きちんと40点だったなぁ』と思う。

そんな状態をあの時にちゃんと認めることが出来ていれば、あれほど苦しい院生生活を送らずに済んだのかなぁと思ったりもする。

 

 

「頑張れば出来る」は裏を返せば「頑張らないと出来ない」ということだと思う。

“頑張る”というのは、今の自分の実力をフルパワーで発揮することだ。
つまり「フルパワーを出せば出来る(フルパワーを出さないと出来ない)」ということだ。

 

それを“出来ること”=“自分の能力”と計上すると結構キツイことになるのではないかと今なら思う。常にフルパワーで過ごすことはなかなか出来ることではない。

自分の能力を見誤る時ってこういう時なのかもしれない。

フルパワーの自分と、6割くらいの自分とは、区別して考えた方が良さそうだ。

 

6割の自分のショボさは、なんとも恥ずかしいやら悲しいやらの気持ちになるけれど、その状態を知らないと苦しい息切れの人生が続くことになる。それは絶対にキツイ。もうイヤ。だから、へなちょこな自分もそのまままるっと受け止めて、そこから少しずつ成長していける人になりたいなぁ。