井の中の蛙 ジンベイを知らず

されど、ほにゃららの深さを知る

人と自分を比べること

私はスクールカウンセラーとして中学校に行くことがあるのだが、悩める中学生の多くが他者との比較で落ち込んだり卑屈になったりしている。

 

「私はみんなと比べて、話すのが下手」

「みんなは○○が出来るのに、私は出来ない…」

 

中学生という思春期真っただ中の時期は、他者との違いや類似点を見つけながら、自己理解を深めていくものである。なので、この時期の子どもたちの他者比較は仕方ないことではある。

 

 

巷では『人と比べない生き方』とか『他人と自分を比較しない』とかを推奨し、人と自分とを比較すること自体を避けようとする意見を聞く。

【他者と自分を比べるから落ち込むのだ、それならば比較しなければ良いのだ】という論法なのだろうが、果たして本当に“比較しなければ良い”のだろうか。

 

 

私の夫であるゲロゲロは、いつも自分のペースでどんどん自己成長を進めていく人である。しかし彼が成長していく途中で、人と自分とを比べて卑屈になっていたりする印象が全くないので、『これはもしかして他者比較をしないタイプの人間なのか…?!』と思い、話を聞いてみた。

 

私「人と自分を比べたりする?」

 

ゲロゲロ「ん…??めっちゃしてるやん?あいつは(俺と比べて)アホや、とか、あの人は(俺と比べて)仕事が出来る、とか、いつも言ってるやん」

 

「たしかに…!!!!!(笑)じゃあ、すごい人と自分を比べて、そのあとどうするん?」

 

「その後は、その人がなんですごいんかを考えて、その人のことをもっと知りたいって思うから話を聞いてみたり、どんどん仲良くなっていって…」

 

「すごい人が目の前にいて、落ち込んだりせえへんの?」

 

「せえへん。だってそんな暇ないもん。逆に、アホな人ら見て喜んでる暇もないけど。」

 

あー!!これだ!!!!と思った。

人と比べて、落ち込んだり、喜んだりしている暇はない。

この人は自分が成長することしか考えていないのだ。貪欲にずっと走り続けている人。そういえば私は彼のそういうところに惚れたのだ。

 

そして、「そんな暇ない」はとっても良い言葉だと思った。

 

 

限られた時間のなかで、自分がどれくらい成長して、この人生を終えるのか。

そう考えると、人と比べて落ち込んだり喜んだりしている暇なんてない。

 

いや、落ち込むのも喜ぶのも、とっても人間らしい感情ではある。その感情を否定しているのではない。ただ、その感情に何日も何か月も何年も浸っている暇はない。浸っていて楽しいわけでもあるまい。(楽しいのであれば、それはそれで良い人生だろう。)

 

 

人はたぶん、人との比較がまったくない状況では成長しない。他人の存在があるから成長するのだ。あの人に勝ちたい、1番になりたい、もっと上手くなりたい、そういう気持ちが成長を促すのだ。他人の存在がない中で向上心は生まれない。

他人と自分とを比べるからこそ、自分が劣っているところを認識できる。欠けているところに気付くことが出来る。一人っきりでは、自分のことさえ知ることは出来ない。

 

そりゃあ、たしかに比較ばかりでは心が荒んでいってしまうだろう。しかし、だからといって比較することを全部やめようとするのは短絡的すぎる。何事もバランスが大切なのだ。

 

適度な競争と適度なマイペース。

良いバランスを自分の中で見つけながら生きていければ良いと思う。

 

今の私はちょっと疲れ気味だから、マイペース多めで、でもたまに人と比べてちょっぴり焦ったりしながら、のんびり成長していきたい。