井の中の蛙 ジンベイを知らず

されど、ほにゃららの深さを知る

人を自宅に招待すること

私は幼い頃から「人を家に呼ぶ」ということに強い憧れを抱いていた。学校には持っていけないお気に入りのおもちゃを、大好きな友だちにも見てもらう。自分の好きなおやつを、一緒に食べる。学校生活では見えない私服姿を見せあう。学校では出来ない遊び方、過ごし方をする。それはとてつもなく楽しく、幸せなことのように思っていた。

 

しかし残念ながら、実家ではその憧れが実現することはなかった。

家はゴミ屋敷だったし、そんな家に人を呼ぶなんて出来るはずがなかった。また、ゴミ屋敷になる随分前から、母には「家に人を呼んではいけない・人の家に遊びに行ってはいけない」と釘を刺されていた。「家にお呼ばれしたら、こちらも招待しなくちゃいけなくなるでしょう」とも言われた。

 

大学生になり、誰の目も気にせず、友だちの家に遊びに行けるようになった。そして、一人暮らしを始め、私も友だちを家に招待出来るようになった。

それはそれはとても楽しいことだった。人を家に招待し、一緒にご飯やお菓子を作り、ゲームをして、TVを見て…自分の家の中にいながらほんの少しの非日常を感じられることに物凄いよろこびを感じた。

 

なにより、人を家に呼ぶということで、自分の料理のレパートリーも増えるし、家の中の清潔さも保たれる。さらに“おもてなし”も、たまになら結構楽しい。相手がくつろげるように色々と考えたり試したりすることは、意外と自分の中で満たされるものがある。

もちろん、家にお呼びするのは仲の良い友人に限定されるが、他人が我が家に来るというのは、やっぱり良い効能もある。

 

この楽しさをいつでも味わえるように、私は日ごろから家の清潔さをそれなりに保っている。私はゴミ屋敷で育ったので、あまり家の清潔さに頓着がないのだが、それだと友人を招待することが出来ないのを知っているからだ。友人が「今から家に行っても良い?」と急に連絡を寄こしてきても、30分で人様に見せても全く恥ずかしくないくらいに家中を綺麗に出来る。いつも綺麗ピカピカ、はさすがに心が疲れるので、ストレスなく続けられる程度の綺麗さを維持している。それは自分の精神衛生上も、そして共生する旦那のゲロゲロのためにもよろしい。

 

昨日久しぶりに家に友人が遊びに来て、やっぱりめちゃくちゃ楽しかった。

これからもたまには(本当に、たまに、くらいで良い)人を家に呼んで、楽しい時間を過ごしたい。