夜の招かざる訪問者
私は旦那さんであるゲロゲロと6階建のマンションの5階の一室に住んでいる。広いLD部分に惚れて即決した。
4月になったばかりのその日は、ゲロゲロは職場の新人歓迎会で帰りが遅くなる日だった。夜に桜の木の下で宴会をするらしい。毎年の恒例行事だ。
私は仕事から帰り、4人掛けテーブルの片隅を使って簡単な夕食を摂った。
広すぎるリビングは、ソファーとTVを置いてある空間と、食事をするためのテーブルを置いてある空間とに分けている。
今はテーブルのある空間だけ電気を点けているので、あちら側はすこし薄暗い。
あちら側に目を向けると、日中に取り込んだままの洗濯物がカーテンレールに引っかかっている。ゲロゲロが帰ってくるまでに片付けなきゃなぁとぼんやり思った。
アマゾンプライムで気になっていた映画(『恋妻家宮本』という阿部寛と天海祐希が主演のもの)を見ながら、用意した夕食をだらだらと食べ進める。それでも2,30分もしないうちに終わってしまった。
(↑↑今ならアマゾンプライムで見れる!ほんわかした良い映画だった)
一旦停止して、食器を片付けるためにキッチンへ。テーブルに戻る際に、戸棚からチョコを取り出した。
映画を見終わるともう22時前になっていた。
お風呂に入らなきゃなぁという気持ちがありながらも、スマホでSNSを見てダラダラと時間を浪費していた。
どうせゲロゲロが帰ってくるのは0時くらいだろう。それまでたっぷり時間はある。存分にダラダラしよう。
映画も終わり、静かになったリビング。
SNSに熱中する私。
そして、かすかな物音。……物音?!?!
ガサッ…ガサッ…
ガサガサッ…
完全に聞こえた。認識してしまった。と同時に、その音の方向に目をやった。
ソファーのある薄暗い空間。
その真っ白い壁の真ん中に、黒い影が不規則に浮遊していた。
壁に当たるたびに「ガサッ……ガサッ…」と音を立てている。
たぶん直径6~7cm。めっちゃデカい。とにかくデカい。
しかも飛んでいる。めっちゃ怖い。
そう思った矢先、その影が明るいこちら側に向かって飛んできた。
心の中で悲鳴を上げた。
そして何を思ったか、一番近くの空間であるキッチンに逃げ込んだ。
キッチンには窓もなく、完全に行き止まりの狭い空間である。私はとっさにアホな選択をしてしまった。
しかし、すぐ目の前には“何か”が飛んでいる。キッチンから出て玄関に逃げる勇気はなかった。
その“何か”はリビングの電気に向かって飛び、電気に当たっている。
「バサバサッ…バサバサッ…」と、物体が電気カバーに当たる音がしている。
蛾だ。たぶん、蛾。
大の虫嫌いで、虫のことなんてこれっぽっちも詳しくない。でもあれはたぶん、蛾。
しかもめっちゃ胴体しっかりしてるバージョンの蛾。まさにモスラ。
(↑↑参考画像…こんなのだった気がする。うん。これ。うん。)
まじでやだ。
あの予想できない、不規則で、意味不明な動きがたまらなく怖いし気持ち悪い。
リビングの電気にぶつかりながら飛んでいるモスラの様子をキッチンから恐る恐る伺っていたら、なぜかキッチンに向かって飛んできた。
完全に悲鳴を上げた。モスラ、来た。なんでこっち来るんだ!!?!!!?!!
モスラがこの狭いキッチンに入って来るなんて、気が気じゃない。
私はキッチン入り口にかかっている暖簾をモスラに向かって必死にバサバサした。
モスラに暖簾が当たることはなかったが、風を感じたのか、それとも私の狂気を感じたのか、モスラが怯んだように見えた。そして、キッチンの入り口から逃げていった。
リビングの壁に当たって、また不穏な音をたてている。
きっとモスラも外に出たいはず…!!!
そう思った私はキッチンから飛び出し、リビングと玄関をつなぐ扉を開け、玄関に逃げた。そして玄関の扉も開けた。
これでモスラも外に逃げれる。
しかし、玄関の外で少し待ってみたが、モスラが出てくる気配がない。
玄関からリビングの様子を伺おうと耳を澄ましたが、先ほどまでの音がしなくなっていた。
春の夜はずいぶん冷え込む。あまり長い時間外でモスラを待っているのも限界があったが、モスラと鉢合わせしたらと思うと、中に入ることはためらわれた。密室空間でモスラと二人っきりは嫌すぎる。あいつはどう動くか分からない。
ゲロゲロがいてくれれば…そう思いスマホを見た。
つい先ほどまでSNSを見て寛いでいたから、スマホを握ったままモスラと戦っていたらしい。スマホが手元にあるのは、なんだか心細さが紛れた。
時間は22時過ぎ。ゲロゲロはたぶんまだ飲み会中だ…少なくともあと1時間は帰ってこない。絶望した。
でも一応電話してみた。もしかしたら、電話に出てくれて、帰ってきてくれるかもしれない。帰ってきてくれなくても、事情を話せば何か対策を考えてくれるだろう。
…だがやはり、電話は留守番電話サービスにつながった。
あまりに外が寒いので、観念して家の中に入ることにした。玄関の扉も閉めた。
しばらく玄関で怯えていたが、リビングの方からはモスラが飛んでいる気配がしなかった。恐る恐るリビングに近づいた。どんなに耳を澄ましても音はしない。
そのまま玄関に10分ほど身をひそめていたが、どうにもこうにも事態が進展しないため、リビングに入ろうと決意した。どこからか戦う勇気が湧いてきた。
クイックルワイパーを手に、リビングの怪しいところを突きまくった。武器を持った私は少し強気になっていた。椅子に掛けていたパーカーを突き、ソファーの上のクッションを突き、床に置いてあるリュックサックを突いた。気になる所は全部突いたが、とうとうモスラは出てこなかった。
そんな時、ゲロゲロからLINEが入った。もうすぐ帰るよ~という知らせだった。
私はすぐさま電話をし、事情を説明した。あと30分くらいで着くということで、微妙な時間の長さにちょっぴり落胆した。
ゲロゲロが帰ってきてからも、結局モスラは見つからなかった。仕方ないので、お風呂に入り、寝る支度をすることにした。
お風呂から上がってきても何故かモスラの気配はまったく感じなかった。夜中にトイレで目覚めた時にモスラと鉢合わせなんてしたら…と思うと恐怖しかなったが、見つからないのでどうしようもなかった。寝ているゲロゲロを起こせば良いだけだ、と言い聞かせ、恐怖心を収めた。
いつも通りリビングでドライヤーをした。すると、なんとなく物音がした気がした。
急いでドライヤーを切り、耳を澄ます。しばらくすると「バサ…」と音がする。キッチンの方からだ。電気のついていない薄暗いキッチンに目を凝らす。黒い影が見えた。やっぱり急に飛ぶ。怖い!!!でも見つけた!!!モスラ!!!
慌ててゲロゲロを呼びに行く。ゲロゲロはお酒も入っていて、すでにベッドの上で寝ぼけていた。可哀想だとは一瞬思ったが、モスラがそのまま居座るほうが嫌だったので、起こした。
大変男らしいゲロゲロは、すぐに覚醒し、モスラがいるキッチンに出動した。
そこからは、私はその場から退散していたので詳しくは見ていない。
ゲロゲロがキッチンの明かりを点け、「バサバサッ…」という音が聞こえ、「ガチャッ」と食器がぶつかる音がして、また「ガチャガチャッ…」と食器の音がして、ゲロゲロが「ベランダ開けて…!」と言いながら両手を膨らませてキッチンから出てきた。
モスラ捕獲。そして解放。
ゲロゲロはモスラのキャッチ&リリースに成功してみせたのだった。強い漢である。
これで平和な我が家が戻ってきた。
めでたしめでたし。
ちなみにモスラはベランダに干していた洗濯物にくっついて侵入してきたと思われる。以前も洗濯物にテントウムシがくっついていて、部屋に入ってきたことがある。
ずっと前にゲロゲロに「虫の方が怖がってるわ!人間どれだけデカいと思ってんねん」と、虫に出くわしてギャーギャー喚いていた時に叱られたことがあるが、そうは言っても怖いものは怖いし、気持ち悪いし、ぞわぞわする。特に、飛ぶ系は予測不能な動きをするので怖さが増す。
これからの季節、洗濯物を取り込む際は気を付けたい。