大切な人・ものを大切にするということ
大切な人を思い浮かべてください、と言われて誰を思い浮かべるだろう。
私は、旦那のゲロゲロを真っ先に思い浮かべる。
次にゲロゲロを育ててくれたご両親を思い浮かべ、みんなでご飯を食べた光景を思い浮かべる。そしてその後、芋づる式に色んな人を思い浮かべ、私にとって大切な存在がいかに多いかを実感する。
さて、今回は「大切な人・ものを大切にする」ということについて考えてみたい。
個人的な考えとしては、これ、結構難しいことだと思っている。
大切な人を大切にする、という当たり前のことが、意外と難しい。
大切な人なのに、待ち合わせに遅刻してしまう。
大切な人との約束を、仕事でドタキャンしてしまう。
大切な人なのに、傷つけるようなことを言ってしまう。
大切な人のシュークリームを、食べてしまう…(…ん???)
結局、つい甘えてしまうのだ。
自分が可愛くて、相手よりも自分を優先してしまうのだ。
相手のことを「大切な存在だ」と言いながら、大事な時に自分を優先する。
以前の私は、そもそも“大切にする”という感覚がよく分かっていなかった。
「大切な物」は私の人生にはなかった。「大切な人」もいなかった。
これといって好きな物もなければ、逆に嫌いな物もなかった。
私の周りにあるものはどれも、あってもなくても良いものだった。
そして誰かを大切にすることは、自分を犠牲にすることのようにも感じていた。
そんな私だが、臨床心理学を専攻し、その世界で生きていく中で「大切にする」という感覚に多く接してきた。
「大切にする」という感覚は、他人と生きていく上で必要不可欠の感覚であると今は思っている。
だから今回、自分のためにも、少し言葉にしてみたいと思う。
意外だと思うかもしれないが、他人を大切にするには、まずは自分を大切にする必要がある。
自分をきちんと大切に出来ない人は、他人を大切にする方法が分からない。
自分を大切にする、というのは、自分で自分の機嫌をとるということに似ている気がする。
どういう風に接したら自分は喜ぶのか。
自分は何が好きなのか。
何を言われたら機嫌が良くなるのか、逆に何をされたら嫌なのか。
こういうことを知っておく必要がある。
自分の好き嫌いをきちんと知っておくと、自分を大切にすることが出来る。
そして、自分を大切に出来るようになると、他人を大切にすることが出来るようになる。
逆に言うと、自分を大切に出来ない人は、たぶん他人を大切に出来ない。
もちろん、自分がされて嬉しいことが、相手も嬉しいことだとは限らない。
自分が絶対に嫌だと思うようなことも、相手は好きかもしれない。
「自分がされて嬉しいことを、相手にもしてあげましょう」
こんな教育がたまにあるが、そうじゃないのだ。
自分の好き嫌いを知ることは、こういう風に応用するのではない。
自分が何かを好きなように、相手にだって好きなものがある。
自分が何かを嫌うように、相手にだって嫌なことがある。
自分がされて嫌だと感じることがあるように、相手にだってされて嫌なことがある。
自分が幸福だなと思う瞬間があるように、相手にだって幸福だと思う瞬間がある。
だから、相手が大切にしているものは大切にする。相手が嫌がることはしない。
相手を大切にするというのは、こういうことなのではないだろうか。
私とあなたは別人だから、同じものが好きとは限らない。
でも、何かを好きで、その好きなものを奪われたらきっと悲しいはずである。
その人には大切なものがあって、その大切なものを壊されたら、絶望するだろう。
そこが、同じなのだ。
人は大切にされないと悲しい思いをするし、大切なものが壊されると絶望する。
この知識や経験を応用するのだ。
自分の大切なものをきちんと大切にしない人は、自分を大切にしない人だ。
大切なものを大切にされないことにあまりにも慣れすぎている。
大切なものを壊された時の悲しみが当たり前になってしまっている。
そんな人は、他人の大切なものも平気で壊す。
大切なものを大切にする、という当たり前のことを知らないからだ。
まずは、自分の大切なものが何なのかを知る。
そしてそれをきちんと大切にする。丁寧に扱う。
その積み重ねで、『大切だ』『代わりのないものだ』という感覚を実感する。
そうやって初めて、他人の大切なものを大切に扱うことが出来るのだ。
まずは自分を、自分の大切なものを、大切にしよう。