井の中の蛙 ジンベイを知らず

されど、ほにゃららの深さを知る

それって「集中力がない」んじゃなくて、むしろ逆じゃない?って思ったADHDの子の話

いつかの話。

 

心理面接をしていて、自身の集中力のなさをなんとかしたい、と相談されたことがある。

その子は高校生で、すらりとしたモデルのような体型をしていて、おまけにぱっちり二重のとっても可愛らしい顔をした女の子だった。世間話が大変上手で、世渡り上手な印象を受けた。

 

話を聞いてみると、どうやら高校生活は結構グダグダらしかった。

ほとんど毎日遅刻し、授業中も居眠り放題。行事の時だけは時間を守るので、クラスメイトからは「普段も時間守れよ」と陰口を言われる。仲の良い友達は数名おり、その子たちが支えではあるが、学校に行っても授業はチンプンカンプンだし、その子はその子で別の友人関係もあるので、なんだか学校に行くモチベーションもない。学校を休むから余計浮くのは分かるけど、朝起きれないし、遅刻するし、とにかく時間を守るのが苦手。

 

そんな彼女は「時間を守れるようになりたい」と、深刻そうな顔をして言ってきた。

 

 

これまでに何か診断を受けたことはあるのかを尋ねると、「ADHDの不注意優勢だ」と。

 

ADHDは「注意欠陥多動性障害」と訳されるのだが、“注意欠陥”とか“不注意”と聞くと【集中力が欠如している】と思われがちだ。彼女もそう思っていたようだ。「私は不注意優勢のADHD。だから集中力がない。だから時間が守れない」と言っていた。

 

しかし実はその逆である。

 

集中力はめっちゃあるのだ。

目についたものに【集中してしまう】。次々に興味が移り、集中の対象を変え、そのたびに集中する。そしてマイワールドに入っていってしまう。

 

その様子は、何も知らない傍から見れば、【注意力が散漫】とか【ぼーっとしている】ように見える。だから、支援する側の人間は、その子に対して「集中しなさい」と言って“集中させよう集中させよう”としてしまう。

 

でも、こういう子たちの支援は、逆に“集中を切る”のが効いたりする。

 

集中してマイワールドに入っていってしまうのが問題なので、集中していたら、“切る”。

別の何かに集中してしまっている今の状況を切る。

 

集中力がないんじゃなくて、逆にありすぎる。

そう考えると、支援や対策の方向が真逆だということが分かる。

 

 

高校生くらいになると、こんな風に「あなたは自分のことを集中力がない人間だと言って落ち込んでいるけれど、そうじゃなくて本当はめちゃくちゃ集中力が高いのでは?」とこちらが気付いたことを伝えてみるだけで、まず自分に対する評価が変わり、そして対策法も考えつく。

 

彼女も「私って集中力があったんだ…逆にありすぎて別のことに意識が向いちゃうのが問題だったんだ…」と驚いたような顔をしていた。

 

その後、彼女は「自分はすぐに集中しちゃうから、その集中が途切れるように」と、朝の準備の際には自分の好きな洋楽を流すことにしたと言う。

好きな曲なので、その曲が何分くらいのものなのかが分かっている。曲の変わり目で何分くらい経ったのかが分かるらしく、遅刻が随分減ったらしい。

おまけに好きな音楽を聴いて機嫌も良くなるので、憂鬱な朝の時間にはもってこいの対策だったようだ。

 

 

ADHDの子たちって、不注意優勢でも多動優勢でも、やっぱり学校では目立ちやすくて指導の対象になりやすい。それだけで自信はなくなっていくし、学校が嫌になりやすいし、そういう気持ちが募って癇癪を起したりもしやすい。そうするとクラスメイトや先生との関係も悪くなったりする。

つまり、ADHDの問題だけじゃなく、その後の二次的な問題にもつながりやすい。

 

彼女の場合も、きっと小学生くらいのころから忘れ物が多かったり、遅刻が多くて注意されたりしてきただろう。薬の影響で眠くなって、授業中の居眠りを注意されたりもしただろう。ADHDというハンデだけでも大変なのに、それに伴って別の問題も生じることで事態がより複雑化してしまうことは多々ある。

 

 

でも大丈夫。

たまたまかもしれないけど、私の知っている優秀な教授は多動な人ばかりだった。色んなプロジェクトを立ち上げて、色んな分野に顔を出して、大活躍をしていた。

良い意味でも悪い意味でも、全然落ち着きがなかった(笑)。きっとみんな、小学生や中学生の頃は大変な生徒だったと思う。でも大人になって、持ち前の集中力と、興味の移り変わりの速さを活かし、色んなことにチャレンジして、色んな成果を上げていた。

 

こういう生き方や活躍の仕方があるんだなぁと、私はその人たちを見てしみじみ思った。

彼女にも、持ち前の特性を生かして、これからも社会でどんどん活躍していってほしいなぁ、と願うばかりだ。