井の中の蛙 ジンベイを知らず

されど、ほにゃららの深さを知る

「好き」のパワー

私は少し前まで児童福祉施設で働いていた。

様々な事情があって家で保護者と一緒に暮らせない子どもたちが、その施設で共同生活をする場所だ。

 

最近の施設は、プライバシーの観点から子ども一人ひとりに個室が設けられていることが多い。私が働いていた施設もきちんと個室が用意されていた。

 

 

部屋の様子はその子の心理状態を表していると言っても過言ではなかった。

 

友だちと喧嘩してイライラしている子どもの部屋に行けば、服が脱ぎ散らかっていたり、机の上がぐちゃぐちゃに荒れていた。

部屋の掃除を子どもと一緒にすると、部屋だけでなく、子どもの表情までスッキリした。

 

几帳面は子どもの部屋は、いつ行ってもきちんと整理整頓がされていた。

 

大雑把な性格の子どもの部屋は、好きなアイドルの切り抜きやポスターが無造作に壁に貼られていて、タンスの中を見ると衣類がぐちゃっと押し込まれていた。

 

まさに十人十色。色んな部屋を見てきた。

施設には本当に色んな子どもがいて、それぞれに思い出があるが、その中でも私がとっても好きだった女の子の話を今日は書きたいと思う。

 

 

小学校低学年の女の子。

まだ“女子”の暗黙のルールが分からず、率直すぎる物言いをしたり、配慮の欠けた行動をして年上のお姉さま方からは疎まれることが多かった。職員に対する甘えた言動が媚びを売っているような印象を与えてしまうこともあり、友だちを作るのは苦手そうな子だった。

 

しかし、私は彼女のことが大好きだった。

なぜかは分からないが、私はその子のことがとても可愛く感じた。まぁたしかに、時には苛立ったり、テンションが上がってしつこくなりがちな彼女のことを面倒に思ったこともあったが、それでも基本的にはその子と一緒にいると癒された。

 

癒された時間の1つが、その子の部屋で色んなものを見せてもらう時間だった。

 

「私のお部屋に来て♪」と私に可愛くおねだりをする。時にはウインクだってしてくる。その可愛らしさに私は大げさに反応してみせ、そしてノコノコ彼女のお部屋について行く。

これが私たちのいつものパターン化されたやり取りだった。

 

 

彼女の部屋は「好き」で溢れていた。

壁には自分で書いたお気に入りのイラストや、大好きな先生と一緒に描いた絵が飾られている。机の上には、好きなキャラクターの小物がたくさん。お友達とつくった折り紙も飾ってある。ベッドにはお気に入りのぬいぐるみが3つ、お行儀よく寝ている。折り紙で作った色とりどりの輪っかの飾りが部屋中に垂れ下がっていた。

 

彼女の部屋には物がたくさんあってごちゃごちゃしていたけれど、その一つ一つが彼女に大切にされているような感じがあった。

 

そんなカラフルなお部屋に通されて、私は彼女から色んなものを見せてもらいながら、それにまつわるエピソードを教えてもらった。

学校で作ったもの、最近買ってもらったシール、自由時間に作ったビーズのアクセサリー、友だちからもらったお手紙、学校の先生との交換ノート。

 

それを見せながら一生懸命話す彼女の嬉しそうな顔で、私の疲れはいつも吹き飛んでいた。

 

 

彼女は“好きな物”が本当に多かった。

好きなキャラクター、好きな色、好きな遊び、好きな食べ物、好きなおやつ、好きな服、好きな教科、好きな植物、好きな虫、好きな形、好きな手触り、好きな言葉、好きな先生、好きな時間。

 

年上のお姉さま方から「そんなもののどこか良いの?」と笑われたり呆れられたりすることもあった。さすがにその場ではしゅん…とするが、すぐに「だって好きなんだからしょうがないよねぇ?」と私にこそっと言う。「好きなものがあるって、素敵なことだよ」と返すと「えへへ」と笑う。

 

 

周りから理解されなくても、好きなものは好き!

それを真っ直ぐに表現していた彼女の無邪気な強さに、私はうらやましい気持ちを抱いていたに違いない。

 

思えば、幼い頃の私は、自分の好きな物を他人に笑われて、それに傷つくだけの子どもだった。

彼女のように「好きなんだから仕方ないよねぇ!」と周りの声を受け流すことだって出来たのに、そんな発想がなかった。好きな物をそっとしまい込んで、出会わなかったことにしてしまう子どもだった。

彼女のように「だって好きなんだもの」と言えたら、もしかしたらもっと世界は広がっていたのかなと思う。

 

 

「好き」は、きっと人の原動力だ。

好きだから、探求する。

好きだから、頑張る。

好きだから、大切にする。

 

好きなものに囲まれて生きている彼女は、きっと強い。

そんな風に私もそうなりたいな。