井の中の蛙 ジンベイを知らず

されど、ほにゃららの深さを知る

「夢」って何…??って思いながら書いてみた

こんにちは。みのまるです。

今日は朝起きた時からずっと「夢」について考えていて、それがどうにもまとまりそうになくて困っています。そんな私の考え事をここに書いてみようと思います。

 

もしよければ、アドバイスとか、感想とかを書いてもらえると嬉しいです。参考にしながら考えを進めます。

 

 

きっかけ:ZOZO前澤社長の1億円お年玉

先日、ZOZOの前澤社長が「100人に100万円のお年玉をあげる」という面白い企画をしていました。

この人、ほんといつも面白いことをしますね。きっと心が少年なんでしょうね。

 

そして昨日、当選者が続々登場したらしいのですが、その当選者たちには共通点があったらしいんです。

 

それが 「夢」があった ということ。

 

例えば

「障害がある方々100人に服をプレゼントして、100人で表参道を歩く」

「砂場研究費」

 

前澤さんが考える<有意義な100万円の使い方>をしてくれそうな人に対して、100万円のお年玉が送られた、ということのようです。

 

「夢」がある人ってどれくらいいるの?

夢がある人って良いなぁって思います。エネルギッシュで、爽やかで、前向きで。夢を語る人って大抵キラキラしていて、とても魅力的です。

 

じゃあ私には「夢」はあるか?
人にキラキラした目を向けて語れるような夢はあるか?

 

あれをやってみたい、これをやりたい、そんなの思いつかない。

 

思いつくとすれば、

「のんびり暮らしたい。できれば常夏の、砂浜が綺麗なところで。グアムが丁度良い」

くらいのものです。

 

でも『これって夢なのかなぁ。なんか違うなぁ』という感覚があって、しっくりきません。

 

そんなことを考えているうちに、色んな疑問や思い出が浮かんできました。

 

 

一つ目は、私は子どもの頃はどんな夢を持っていたのだろうか、という疑問。

子どもは夢を持つ天才です。怖気づくこともなく、すぐに「○○になりたい」「××がやってみたい」と言います。

 

私の夢は…

私が幼稚園の年中さんだった頃、たぶん4歳とかの時、幼稚園で七夕飾りを作りました。
その飾りには、みんなが将来の夢を書いていて、周りの子たちは「ケーキ屋さんになりたい」「お姫様になりたい」「○○君と結婚したい」とか書いていたんですが、私は「お医者さんになりたい」と書いたんです。

ここまでは、その時に興味があったことを書いたのだから、他の子たちと一緒なんですが、そこから先が少しねじれ始めます。

 

というのも、その夢を母親がたいそう喜んだのです。

 

私の夢が母親の夢になった

母親は事あるごとに「お医者さんになりたいんでしょう」と私に言うようになりました。

医者になるには勉強しなければ、という気持ちばかりが募り、勉強をしない時間は夢から逃げているような感覚になっていました。

同時に、他にやりたいことが出てきたり、他の夢を持ったりすることは、「医者になる」という夢を<諦めた>という感じがしました。幼い私にとって<諦める>ことは<敗北>を意味していました。そして<敗北>した私を母親は失望して見捨てるだろうとも思いました。


どうしても「医者になる」という夢を手放すことが出来ませんでした。

「医者になる」という夢を持って努力している間は母親に見捨てられることはないと思ったのです。

 

そうして私は、他の夢を探すことも出来ず、かといって医者になりたいのかと言われると首をかしげるしかないような状況で、長い時間を過ごすことになります。

 

そんなこんなで高校二年生の冬。

次第に模試も本格的になり、合否判定もつくようになります。

その時期には、地方国立大の医学部ならどうにか目指せそうな成績。でも大阪は離れたくない。関西には京大、阪大、神大などの国立大がありますが、その医学部なんて鬼です。そこに食らいつこうと思うほどの「医者になりたいんだ!」という強い意志はありませんでした。

 

そんな私を見かねてか、母親は次々に妥協案を出します。

「医学部ならどこでも良いのよ。医者にはなれるんだし。信州大なら叔父さんも行ってたじゃない」

「医学部がダメなら、歯学部は?薬学部は?文転して法学部なんてどう」

京都大学なら、どの学部でも就職は有利なんじゃない?」

 

教育学に興味を持った私

そんな中で私はひっそりと教育学に興味を持ち始めます。そして、同時に、哲学や宗教学、心理学なんかにも興味が出始めました。

ひっくるめて「人がどう学び、どう成長し、どう生きるか」ということに興味を持ち始めたのです。

そして、そういうのを全般的に学べる学部をこっそりと探していました。

 

 

夢が定まらない宙ぶらりんな状態

母親が事あるごとに言う「あなたは小さい頃から医者になるのが夢だったのよ」という洗脳ともいえる言葉。

次第に<医学部に合格しなければ私は見捨てられてしまう>とまで思うようになっていました。

 

一方で、(学力的にも、意志的にも)『もう無理だ』という私の正直な気持ち。

 

でも、、、

医者というものに興味がなくなったから頑張れないのか、

そもそも頑張りたくなくて医者を諦めようとしているのか。

 

それがどうしても分からず、宙ぶらりんな状態で過ごしていました。

 

どっちつかずの残念な結果

それでも残酷にも時間は流れ、悩みに答えが出る前にセンター試験を迎え、出願をすることになります。

 

結果はボロボロ。

 

結局、もはや母親の夢であった「娘の医学部合格」も達成されず、私の「地元の国立大合格」も達成されず、中途半端な結果になってしまったのでした。

 

 

今思うと、この結果は、とても私らしいものだと思います。

というのも、私は、『やりたくないことはしたくない!』という頑固な性格の持ち主なのです。この頑固な一面は、実は最近になって知った私の特徴です。

しかし一方で、母親に見捨てられたくない、というどうしようもない気持ちも持っていました。

 

そんな私の気持ちを一番バランス良く表現した結果が、

母親に対して「私は私なりに努力したけど、医学部に入るためのレベルには達しませんでした」と表明することだったのです。

 

<諦められなかった>ことの代償

でも、そんなやり方をしたせいで、私はせっかく興味を持てた教育学や哲学を大切にすることが出来ませんでした。

 

教育学や哲学を地元の国立大で勉強したかったら、もっともっと勉強する必要があった。

でも、医学部以外に興味を持って専念することは、母親から見捨てられることを意味する。

 

 

高校生の私は、母親のことも、自分の気持ちも、どちらも<諦める>ことが出来なかったのです。

 

(このあたりの話は、親離れ・子離れの問題もあり、複雑さを増しています…その辺のことはまた別の機会に書きます)

 

 

とっても中途半端な気持ちで、でもその中途半端を解消する余裕やエネルギーもなく、だらだらと無駄なエネルギー消費をしてしまっていたのだと思います。

 

中途半端な気持ちで成功するほど、大学入試は甘くない。

それは人生もそう。

 

二兎を追う者は一兎をも得ず

「二兎を追う者だけが二兎を得る」と言い聞かせて頑張る時期もありました。
どっちも得るためには、他人の2倍の努力とエネルギーが必要です。

 

でも、それが出来る時と出来ない時があります。

その時の自分の状況もそうですし、二兎がそれぞれ強敵な場合もそうです。

そういう時には一旦どちらかを諦める必要があるんだと思います。

 

私の場合は、母親から見捨てられたとしてもやりたいことを貫き通すかどうか、というところでした。

見捨てられないようにすることも、自分の意志を貫き通すことも、当時の私にとってはどちらもかなりのエネルギーが必要なことでした。なので、本来なら、どちらか一本に絞る必要があったんだと思います。

 

今でこそ、どちらかに絞る必要があったな、なんて思いますが、当時はそれどころではないほど余裕がなく(受験勉強はやっぱり大変です)、どちらか一本に絞る勇気も気力もありませんでした。

 

<諦める>勇気

捨てたり、諦めたりすることには勇気(=エネルギー)がいります。

そして、なんだかネガティブな印象もあります。罪悪感が残ることもあるでしょう。

 

でも、<諦める>というのは、心理学的には実はとても大切な行動なのです。

カウンセリングの時も、クライエントが何かに対して本当に心の底から<諦める>ことが出来た時、日常が動き始めます。

悩んだり、苦しんだりしている時は、どうにもこうにも諦められないことがあるようです。

 

 

どちらも諦められないから、身動きできない。

一本道を歩いていた時に、二股に分かれる分かれ道が登場し、どっちに行こうか悩んでいるような状態です。

 

諦められない人は、

どちらかを選択して行ってみたは良いけど、やはり他方が気になって後戻りして、他方に行くけど、そうすると先ほど選んだ道の先も気になり、来た道を戻って、また先ほどの道に戻って…を繰り返します。

 

こっちだ!と決めて進んでいった人と比べるとエネルギーの消費量は半端じゃないです。

 

 

だからこそ「夢」を。

そう思うと、夢って道しるべなのかなと思います。

「夢」を達成することが本来の目的なので、そのための道筋はなんでも良いんですよね。

夢が一つあるだけで、自動的に諦める必要のある事柄だってあるだろうし、迷うことが減るような気がします。

 

 

大切な人が幸せになるような夢を持てたら、それって最高。

そうじゃなくても、少なくとも、自分がちゃんと幸せになるような夢を持てたら、きっと大切な人は応援してくれる。

 

これを書きながら、ちょっとだけスッキリしました。

「グアムあたりの常夏の島でのんびり生活する」が夢でも、今は別に良いんじゃないかなぁ。それに向けて、頑張ってみよう~

 

 

「夢」ってもっと気軽で良いのかもね!知らんけど!(笑)

 

 

とりあえず今日はおーわり。みのまるでした!