井の中の蛙 ジンベイを知らず

されど、ほにゃららの深さを知る

上司に関する愚痴を聞いていて思ったこと

数日前、ボテチンの職場の後輩くん2名が自宅に遊びに来た。

私はその日仕事があって帰宅は21時頃になったのだけど、帰った時にまだ彼らがいて、その輪の中に私も合流した。

 

ケーキを買って来てくれたり、美味しいパン屋さんのデニッシュを買ってきてくれたり、使った食器を洗ってくれたりと、ボテチンと仲良くしてくれる良い後輩くんたちである。

 

後輩くん2名とは一緒に働いていた時期もあったので、仕事についての共通の話題が多い。その日もっぱら話題に上がったのは、ちょっと困った管理職の男性の話だった。

 

私もその管理職の男性とは一緒に働いていたのでだいたいの特徴は掴んでいる。

50歳くらいのおじさんで、その職場で上から2番目にえらい人。これまでは現場の最前線で活躍していたが、管理職となった今は新人育成や経営の方を任されている。「気持ち」とか「心」とか「熱意」とか、そういう言葉やニュアンスを大事にしていて、仕事に対する意識も高い。「若い頃はトガっていた」と良く言い、同僚との衝突も恐れず信念を貫く人だ。

しかし、このように“熱い人”なので、管理職となった現在でも部下と話が噛み合わなかったり、管理職同士で衝突していたりする姿はよく見られた。「僕の時代はこうだった」と語る彼を、「またあの話をしている」と苦笑いする人もいた。

 

かく言う私も、意見を言っては頭ごなしに否定され(たように感じ)、上司である彼の持論に合わせざるを得ず、なんだか楽しくないなぁ~と思うことが多かった。次第に彼に相談に行くことは減っていって、代わりに「やってみなよ」と背中を押してくれるもう一人の上司の方を頼ることが増えていった。

人の変化に敏感な私は、彼のイライラモードをいち早く察知してなるべくそういう日には関わらないようにし、比較的穏やかな日にハンコをもらったり意見を求めたりするようにしていた。

 

私がその職場を辞めてもう1年になるのだが、まぁ1年でその上司が大きな変化を見せることもなく、やっぱり今でも“熱く”生きているようだった。

後輩くんたちからもその管理職のことを「精神塾」とか「男塾」とか揶揄されていて、なんだかあまり敬意は払われていないように感じた。

 

 

ボテチンとその後輩くんたちのそんな会話を横で聞きながら、私はふと、『中年期の特徴だ…!』と感じ、専門書を引っ張り出して読み返してみた。

 

 

「中年期の危機」という言葉がある。

中年期は、(時代によって前後するが現在のところ)だいたい40歳前後から50歳半ばくらいまでの時期を指す。先ほどまで話題にあがっていた管理職の男性もちょうどそれくらいの年齢である。

中年期には「若さと老い」「破壊と創造」といった対立が自己内外で生じる。つまり、自己の内部だけでなく、他者との関係においても「葛藤」が生じる危機期であると言われている。

 

「葛藤」と言えば、青年期である。

「自分は何者なのか」
「自分はどんな人間になりたいのか」
「自分はどんな仕事がしたいのか」

こんな葛藤を抱えて自問自答しながらアイデンティティを確立させていくのが青年期(現代ではだいたい15~30歳くらい)である。

 

中年期というのは、青年期で一旦出した答えについてもう一度考え直す時期らしく、「自分の人生はこのままで良いのか」と焦ったり不安になったりして、心理的な動揺や葛藤が生じる。
中年期のことを「第二の思春期」とか「思秋期」と言われたりもするが、その理由はまさにここにある。それくらい大きな転換期となるのがこの時期である。

 

 

そもそも40歳~50代となると、体力は全盛期と比べかなり衰える。男女ともにホルモンの影響もあり、様々な不調が生じる時期だ。

身体の不調は、こころの不調に直結する。
イライラしたり、不安が募ったりして、気持ちの面でも余裕がなくなっていくと、対人関係もぎくしゃくしていく。ぎくしゃくした対人関係は体力を消耗し、気持ちもすり減る。そうやって負のサイクルにはまっていく。

 

 

そういう風に考えながら一歩引いて見てみると、例の管理職の男性の置かれている環境はなかなか過酷なものであるように思えた。

 

職員は若い人たちばかり。自分と同じように「葛藤」を抱えながらも、しかし有り余るほどのエネルギーを持って生きる若者たちがいつも目の前にいる。

「俺らの時代」を知る人はおらず、“自分にとって当たり前であり正しいとさえ思っていた世界”が誰にも理解されない。共感されない。

職場では重要なポジションにいるので、仕事量は依然多い。また、これまでとは異なる種類の仕事も増え、新しい問題にも日々直面している。

 

 

職場だけでなく、きっと家庭のことだってストレスの種はあるはずだ。

そりゃぁ余裕もなくなる。

 

余裕がないと、上に書いたような状況を冷静に把握することなんて出来ない。

ただの“意見の違い”で済む話が、「自分は尊重されていない」とか「自分の意見をバカにされている」と感じるだろうし、

自分より20歳も30歳も年下の人たちが大ベテランである自分の“言うことを聞かない”となると腹が立つだろう。

そうなると「今の時代の若い人たちはダメだ」という気持ちにもなる。「自分が何とかしなければ」と躍起にもなる。

それが外に滲み出てしまおうものなら、若い人たちもそれを察知して「男塾」とか揶揄する。若い人たちだって「葛藤」の真っ只中にいるので冷静ではいられない。

 

 

そんな感じなのかなぁ~…って、みんなが話す横でぼんやり考えていた。

 

 

ってことは…

中年期の人と青年期の人は、あんまり一緒にいない方が良いかもしれない。
混ぜるな危険、である。

 

間にだれか、“冷静な”時期の人をはさんだ方が良い。

 

それなのに、そういえばボテチンを含む彼らの職場には、その中間層がまったくいない。というか大半が20代という大変若々しい職場である。30代と40代がちょろっと、そして管理職が数名。そんなちょっと変わった構成だ。

このちょっと変わった人員構成が今回の「ちょっと困った管理職」という認識に拍車がかかっている大きな要因なのかもしれない。

 

 

私がそこで働いていた時は、その管理職とはウマが合わないのだ、と諦めて一定の距離を保って一緒に仕事をしていたが、もしかしたらそうではなかったのかもしれない。

私の若いエネルギーが、彼の中にある何かを無駄に刺激していたのかもしれない。そして私もまた、彼の「葛藤」や「動揺」に必要以上に刺激を受けていたのかもしれない。

 

今会ったらまた違う関係が生まれるのかもしれないなぁ、とぼんやり思ったりもする。(まぁ、あんまり会いたくないけれど…笑)

 

 

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