頼れる男、ボテチン
二日前の突然の台風。
12日の昼前からケータイに色んな警報が届きはじめ、アラーム鳴りっぱなし。
ニュースを見ても「命を守る行動を」と、ただならぬ気配。
旦那さんのボテチンが窓ガラスに養生テープで補強してくれたり、避難の時のためのリュックを用意してくれたりした。
というのも、ボテチンは11日の昼過ぎから当直で、12日の昼まで家には私ひとりぼっち。
何かあったらこれを持って逃げるんだ。
大丈夫!少しの辛抱だから。もし酷かったら途中で帰ってくる!
こういう時に頼れるのはボテチンしかいない。
ボテチンが頼れる男で本当に良かった。
リュックには笛もつけてくれた。
困った時はこれを吹くんだ!
ボテチン、かっこよすぎる…
ボテチンが仕事に行った後、私は私で出来ることはないかと考えた。
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浴槽に水を貯めておく
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冷凍庫、冷凍庫に残っている食材の調理
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冷蔵庫の中身の写真を撮っておく(←停電になった後に冷蔵庫のドアを開けるのを必要最低限にするため)
家には食べ物はたくさんあったので数日は買い物に行けなくても大丈夫さと思っていたのだが、良く見てみるとその多くはガスや電子レンジを使わないと食べれないものだった。
冷凍庫には最近ストックしたばかりの鶏肉(ささみ)が大量に入っていた。
だからこれを使って、最悪停電で冷蔵庫やレンジが使えなくなっても大丈夫そうなものを作ることにした。
白米がそそるものばかりだが、非常食で乾いた物ばかりになった時にこういうしっとりしたものが食べれるのは嬉しいかもと思った。
今回作ったのは「ささみフレーク」と「ピクルス」。ついでに卵も余っていたので全部煮卵にした。食材が良い感じで消費出来た。
そんなことをして台風が来るのに備えた。
結局、台風の影響でえげつない暴風雨に見舞われたのは12日の夜6時くらいから9時くらいまでの3時間程度で済んだ。(雨の方は朝からずっと酷かった。近くの川も氾濫していて避難勧告が出ていた)
あまりの風の強さに、窓ガラスが割れてしまうのではないかと冷や冷やした。
しかも、ベランダの窓の立て付けが悪いのか、強い風が吹くたびに窓と窓の隙間から「ピーーー!!ピーーー!!」と音がする。
窓のガタガタする音と、ピーピー言う音がなんだか耳障りで、もう不安を通り越してイライラしてきた。
するとボテチンが
なんか太鼓と笛の音みたいに聞こえてきた♪
とか言い出し、急にお祭りモードに。
おかげで怖さもイライラもあっという間になくなった。
お祭りモードのなか二人でゲームをしていたら、いつの間にか周りが静かになっていた。
ボテチンの頼もしさを改めて感じた一件でした。
何はともあれ、無事に台風が過ぎ去ってくれて良かった…。
作った惣菜たちはゆっくり消費中です。
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こんな大人になりたいな
大学生の頃、まさに就職活動が始まって間もない頃、友人が就職面接対策として「尊敬する人は誰ですか」の答えを考えていた。
私は大学院に進学するつもりでまったく就職する気がなかったので、そういう就職面接でよく聞かれるような質問について考えたことがなかった。尊敬する人かぁ…と悩んでいると、案の定、友人に「尊敬する人、教えてよ」と言われた。
友人はすぐに数名の人物の名前を挙げた。
歴史上の人物ならこの人、実際に自分の周りにいる人ならこの人、という感じで。
そして、「両親のことも尊敬しているけど面接ではそういう答えが多いらしいから、周りと差をつけるためにも別の人を考えておく必要があるんだよね~」と付け加えた。
友人の答えを聞き、私は強いショックを受けた。
友人は両親というとても身近な人物を尊敬する人に挙げていた。それなのに、私は尊敬する人を一人も挙げることが出来なかった。
誰かを尊敬することが出来ていない自分が、もっと言えば一番身近な存在である両親のことさえ尊敬することが出来ない自分が、大変薄情で、他人のすごさを素直に認められないひねくれ者であり、他人のことを大切に思えていない人間であるように思えた。
「尊敬する」という言葉の意味は知っている。
その言葉が持つ感覚も私の中にある。
だけど、私の持つ「尊敬する」という感覚にぴったり当てはまる人が思い浮かばない…。
もしかして、私の「尊敬する」という感覚が間違っているのだろうか?
だとしたら何が間違っているのだろう。どう訂正すれば良いのだろう。
みんなはどうしてそんなにたくさん「尊敬する人」がいるのだろう。
どうして私は人を尊敬できないのだろう。
私は無意識のうちに自分のことを誰よりもすごい人間だと思い上がっていたのだろうか。
こんな風に色んなことを考え、悩み、そうして月日は流れていった。
就職面接で「尊敬する人について教えてください」なんていう質問に出会うこともなく、日常生活でもそんな話をする機会はなかなかなく、私は無事に社会人になれた。
社会人5年目となる今、驚くことに私の周りには尊敬する人がたくさんいる。
旦那さんであるボテチンはもちろん、そのご両親のことも、職場で出会った先輩や、後輩にだって尊敬する人がいる。
そういう人たちと接していると『こんな風になりたいな』『この人のように生きたいな』と思うことがたくさんある。
あの時と何が違っているのだろう。
きっと私の中の何かが変わったのだろうけど、その「何か」は何だろう。
何かは分からないけれど、一つ確かなことは、誰かと接していて『こんな風になりたいな』と思うことが増えた今がこれまでの人生のなかで一番楽しいということ。昔は昔で存分に楽しんでいたし、あの時もあの時で楽しかったけど、その記録は更新されつづけていてやっぱり今が一番である。
これからもたくさんの人に出会って「こんな風になりたい」って思いながら生きていきたい。
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不登校の生徒さんが抱える心配
今日は不登校のことを書いてみようと思う。
中学校のスクールカウンセラーをしていると、不登校の生徒さんとその親御さんに良く会う。スクールカウンセラーをするまでは、いじめとか発達障害など“学校に来ている”生徒さんに会うことが多いのかなと想像していたが、それはどうやら違ったようだ。
少し前に「不登校の種類」について書いたが、やっぱり相談としては「学校に行きたいけど」「学校に行ってほしいけど」学校に行けなくて困っている、というものが圧倒的に多い。
そりゃぁ、学校に行けなくても困らない人は相談も何もないので、私の元に来るのは前述のような人になるのは当たり前である。
不登校になって困ることといえば小さなことから大きなことまで色々あるようだが、圧倒的第一位は「勉強が遅れること」みたいだ。
これは特に不登校の初期段階の人に多い。
休みが続き出して『あれ?』と先生も親御さんも、そして生徒自身も心配し始める時期。
そういう時には大抵「授業に遅れてしまう…どうしよう」という焦りがある。特に本人。焦りがあるから心も身体も休まらない。結局休みが長引いてしまう。
不登校でなくてもスクールカウンセラーに相談に来る人はちょっと疲れている人が多いが、そういう人も「授業に遅れると困るから」と言って学校を休まないでいることが多い。1日2日休んでみたらちょっとは気持ちも楽になるだろうに…と思うが、生徒側としては「1日休んだら不登校になりそう」と感じるようだ。授業が分からない、という感覚は一気に登校のモチベーションを下げてしまう。
授業って、疲れている人、ちょっと休憩した方が良い人にとってはなかなかのハードルなのだなぁとしみじみ思う。
ただ、学校の授業というのは意外とぶつ切りで、ずーっと繋がっているわけではない。
だから、また安定して学校に行けるようになったら自然と授業について行けるようになっているのだ。転校生とかが来ても少しずつ適応していけるのはそういう仕組みになっているからだ。
もちろん学校に行けていない間に習った知識が必要な時もあるが、それもおおまかに要点を掴めれば大丈夫。授業が終わったらすぐに先生のもとへ行って質問すれば良い。休んでいたことを知っている先生であれば、必要な知識がつくような資料を用意してくれたり、時間があれば教えてくれたりする。
まぁでも、大抵はそんなことをしなくてもなんとなく毎日の授業が流れていって、なんとなく授業が分かったり分からなかったりして毎日が過ぎていく。
ぶっちゃけ学校に毎日来ている生徒でも同じような感じで、分かったり分からなかったりしながら毎日の授業を受けているのだ。たぶん授業に完全についていけている生徒の方が少ない。
結局何が言いたいかというと、心も身体も休みたがっている時に勉強のことで色々と不安になっていると休まるものも休まらないよ!ってこと。
焦るのは分かる。心配なのも分かる。その焦りや不安は大切にとっておけば良い。心も身体も元気になってから思う存分解消しましょう。
まずは心も身体も一旦休めること。順番にひとつずつやっていきましょう。
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はじめて献血ルームに行った時の話
みなさんは献血ルームに行ったことがあるだろうか。
ちょっと大きめの駅とかに行くと結構な確率で「献血おねがいします」という声が聞こえる気がする。私はO型なのだけど、O型はA型さんやB型さんにも輸血が出来るらしい。私ってば、なかなか融通の利くタイプである。
献血ってあんまりリスクがなく、それでいて社会に貢献できるようなイメージがあって、機会があればやってみたいなぁと常々思っていた。
しかも最近の献血ルームはハーゲンダッツが食べれたり、ドリンク飲み放題で漫画や雑誌も読み放題、みたいなところもあるらしい。血を抜かれている間も、その後の休憩も、かなりゆったりと過ごせるようだ。そんなの、行ってみたい、しかない。
でも、どうにも『よし!献血に行こう!』と意気込んで家を出る気にはなれないし、じゃあ外出先でたまたま出会った「献血おねがいします」について行くかと言われると、その時は用事があって外出しているんだからなかなか献血の時間は作れない。
献血自体も緊張するが、そもそもまず献血ルームに行くというだけでなかなかに高いハードルがあった。
それが先日、思わぬ形でそのハードルを飛び越えることとなる。
それは旦那ボテチンの自動車免許更新の日。寂しがりな私は、ボテチンの免許更新について行った。とはいっても、更新センターに一歩入ったら、もう完全に別行動。本当はボテチンにずっとついて行ってやろうと思っていたのだけれど、あまりに並んでいて足は疲れるし、前後左右に人がいるのでなんだかお喋りもしにくいし、全然楽しくない。
もうこれは一人で楽しむしかないと思い、更新センターを出てカフェに行くことにした。
その時、カフェと反対方向に献血ルームが目に入った。
これまで何度となく飛び越えることが出来なかったハードルが、まさかこんな形で突然現れるとは。
『こういう時間がまさに献血タイム…!!!!!』
そう思い、ドキドキしながら献血ルームに向かった。
献血に行くことを決意したは良いものの、歩みを進めながらふと考えてしまった。
入り口で「献血おねがいしま~す!」と叫んでいるおじさんがいる。
この人の声に反応する形で『あ、いいですよ、今時間あるんで』的な感じで偶然を装った方が良いのか、はたまた『私は献血する気満々ですよ!!』という感じで乗り込むのが良いのか、『ちょっと興味があるんですけど…』と控えめに入るのが良いのか、、、そんなことを考えてしまったのだ。
わたし、勝手にハードルを高めるタイプ。
初めて献血ルームに行く時にどんな振る舞いが正解なのかが分からなくなった私は、一気に献血ルームに行く勇気がなくなった。献血ルームの少し手前で一度引き返し、更新センターに戻った。とりあえず更新センターの中にあるコンビニに入る。用事はない。
『でもなぁ~、行ってみたいんだよなぁ~。こんなチャンスめったにないしなぁ~』
もじもじしながら店内をあてもなくウロウロする。そして、やっぱり行くぞ!と決めた。
更新センターを出て、また献血ルームの方へ向かって歩く。
でもやっぱり、さっきの疑問が頭に浮かんでしまう。
どんな感じで献血ルームに入れば良いのか分からないまま、献血ルームの入り口、もとい、「献血おねがいしま~す」と叫ぶおじさんはどんどん近づいてくる。さっき引き返した所はあっという間に過ぎて、あと数歩のところまで来てしまった。おじさんにはどんどん近づくのに、振る舞いの正解には全然近づけない。むしろ正解から遠ざかっている気がする。
あー、どうしよう、えー、まじで、どうしたら良いの?!?!?!
正解が分からずにパニくった私は、その献血ルームの入り口を、正確には「献血おねがいしま~す」と叫ぶおじさんの前を、、、、他の歩行者と同じように通り過ぎてしまった…!
やってしまったーーーーーーーーー!!!!!!!!!
通り過ぎながら一気に後悔の念が押し寄せてくる。
こんなチャンス、そうそうないぞ?!?!これを逃したらたぶん一生行かなくなるぞ?!
今日は絶対に行きたい!!!!!
通り過ぎたついでに、外から献血ルームの中を覗いてみた。カフェのような可愛らしい感じで、ますます行ってみたい気持ちになった。これはもう、行くしかない。振る舞いの正解は見つかっていないが、もうこの際なんでも良い。一度変な失敗をしたから、あとの失敗なんて全然気にならない。
でもまぁそうはいっても、通り過ぎた人間がUターンしてそのまま献血ルームに行ったらおじさんに『あ、こいつ、様子見で一旦通り過ぎたな』とか思われちゃうかもしれないし、それは恥ずかしいから、、、とか思って、とりあえず何もなかったフリして更新センターに戻ることにした(本日2度目)。もうかれこれ5回も更新センターの入り口を通っている。用事はないけど、ボテチンに会いに行った。
わたし、勝手に上げたハードルの高さに自分でびっくりするタイプ。
ボテチンはまだ手続きの最初の方にいた。まだ結構時間がかかるっぽい。
やっぱり今日は献血日和なのだ。うん、そうだ。今日は絶好の、献血日和…!!!!!
勇気を振り絞って、「献血おねがいしま~す」おじさんの元へ行った。この期に及んで正解なんて見つかるわけもなく、最終的には不審者のようにきょどりながらおじさんのところに行くことになった。
行けた。行ってしまった…!!
おじさんは私に気付くと「献血ですか?」と声をかけてくれた。そのまま献血ルームに案内される。
やっと、やっと、やっと…!!!!
私は献血ルームに足を踏み入れることが出来たのだった。
この達成感ときたら、あれだけ何度も更新センターを出入りしただけのことはあった。非常に長い道のりだったが、間違いなく今わたしは献血ルームにいる…!私は無敵になったような気がした。もう何でも出来る。注射も全然大丈夫。どんと来い!!!
おじさん:「献血は初めてですか?」
私「あ、はい、初めてです」
「じゃあこれを読んで、ここに掛けて少しお待ちくださいね。あ、朝ごはんは食べましたか?」
「食べてないです」
「あー、初めての人は朝ごはんを食べてないと出来ないんですよ」
え???????????
まじで??????????
撃沈。
飛び越えたハードルの直後に落とし穴があったなんて思いもよらなかった。
私の献血への挑戦は、たった10秒で幕を閉じたのだった。
献血をする際の注意点
次に献血ルームに行くときに同じことにならないように、おじさんに話を聞いておいた。
朝ごはんは食べておくこと、睡眠はしっかりとっておくこと、薬は飲まない。予防接種を受けていたら献血出来ないこともある。
あの時ちょうど鼻づまりに悩まされていて2週間くらい薬を飲んでいたから、朝ごはんを食べていたとしても結局献血は出来なかった。
他にも色々とあるみたい。6か月以内にピアスを開けた人とかも献血出来ないっぽい。
そう考えると、献血が出来る人ってかなり健康な人に限られるんだなぁ。
まぁそりゃそうか。
私の献血チャレンジはしばらく持ち越しです。
色んな献血ルームがあるみたい!
健康になって、朝ごはんちゃんと食べて、みんなも行こう!(←誰ww)
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上司に関する愚痴を聞いていて思ったこと
数日前、ボテチンの職場の後輩くん2名が自宅に遊びに来た。
私はその日仕事があって帰宅は21時頃になったのだけど、帰った時にまだ彼らがいて、その輪の中に私も合流した。
ケーキを買って来てくれたり、美味しいパン屋さんのデニッシュを買ってきてくれたり、使った食器を洗ってくれたりと、ボテチンと仲良くしてくれる良い後輩くんたちである。
後輩くん2名とは一緒に働いていた時期もあったので、仕事についての共通の話題が多い。その日もっぱら話題に上がったのは、ちょっと困った管理職の男性の話だった。
私もその管理職の男性とは一緒に働いていたのでだいたいの特徴は掴んでいる。
50歳くらいのおじさんで、その職場で上から2番目にえらい人。これまでは現場の最前線で活躍していたが、管理職となった今は新人育成や経営の方を任されている。「気持ち」とか「心」とか「熱意」とか、そういう言葉やニュアンスを大事にしていて、仕事に対する意識も高い。「若い頃はトガっていた」と良く言い、同僚との衝突も恐れず信念を貫く人だ。
しかし、このように“熱い人”なので、管理職となった現在でも部下と話が噛み合わなかったり、管理職同士で衝突していたりする姿はよく見られた。「僕の時代はこうだった」と語る彼を、「またあの話をしている」と苦笑いする人もいた。
かく言う私も、意見を言っては頭ごなしに否定され(たように感じ)、上司である彼の持論に合わせざるを得ず、なんだか楽しくないなぁ~と思うことが多かった。次第に彼に相談に行くことは減っていって、代わりに「やってみなよ」と背中を押してくれるもう一人の上司の方を頼ることが増えていった。
人の変化に敏感な私は、彼のイライラモードをいち早く察知してなるべくそういう日には関わらないようにし、比較的穏やかな日にハンコをもらったり意見を求めたりするようにしていた。
私がその職場を辞めてもう1年になるのだが、まぁ1年でその上司が大きな変化を見せることもなく、やっぱり今でも“熱く”生きているようだった。
後輩くんたちからもその管理職のことを「精神塾」とか「男塾」とか揶揄されていて、なんだかあまり敬意は払われていないように感じた。
ボテチンとその後輩くんたちのそんな会話を横で聞きながら、私はふと、『中年期の特徴だ…!』と感じ、専門書を引っ張り出して読み返してみた。
「中年期の危機」という言葉がある。
中年期は、(時代によって前後するが現在のところ)だいたい40歳前後から50歳半ばくらいまでの時期を指す。先ほどまで話題にあがっていた管理職の男性もちょうどそれくらいの年齢である。
中年期には「若さと老い」「破壊と創造」といった対立が自己内外で生じる。つまり、自己の内部だけでなく、他者との関係においても「葛藤」が生じる危機期であると言われている。
「葛藤」と言えば、青年期である。
「自分は何者なのか」
「自分はどんな人間になりたいのか」
「自分はどんな仕事がしたいのか」
こんな葛藤を抱えて自問自答しながらアイデンティティを確立させていくのが青年期(現代ではだいたい15~30歳くらい)である。
中年期というのは、青年期で一旦出した答えについてもう一度考え直す時期らしく、「自分の人生はこのままで良いのか」と焦ったり不安になったりして、心理的な動揺や葛藤が生じる。
中年期のことを「第二の思春期」とか「思秋期」と言われたりもするが、その理由はまさにここにある。それくらい大きな転換期となるのがこの時期である。
そもそも40歳~50代となると、体力は全盛期と比べかなり衰える。男女ともにホルモンの影響もあり、様々な不調が生じる時期だ。
身体の不調は、こころの不調に直結する。
イライラしたり、不安が募ったりして、気持ちの面でも余裕がなくなっていくと、対人関係もぎくしゃくしていく。ぎくしゃくした対人関係は体力を消耗し、気持ちもすり減る。そうやって負のサイクルにはまっていく。
そういう風に考えながら一歩引いて見てみると、例の管理職の男性の置かれている環境はなかなか過酷なものであるように思えた。
職員は若い人たちばかり。自分と同じように「葛藤」を抱えながらも、しかし有り余るほどのエネルギーを持って生きる若者たちがいつも目の前にいる。
「俺らの時代」を知る人はおらず、“自分にとって当たり前であり正しいとさえ思っていた世界”が誰にも理解されない。共感されない。
職場では重要なポジションにいるので、仕事量は依然多い。また、これまでとは異なる種類の仕事も増え、新しい問題にも日々直面している。
職場だけでなく、きっと家庭のことだってストレスの種はあるはずだ。
そりゃぁ余裕もなくなる。
余裕がないと、上に書いたような状況を冷静に把握することなんて出来ない。
ただの“意見の違い”で済む話が、「自分は尊重されていない」とか「自分の意見をバカにされている」と感じるだろうし、
自分より20歳も30歳も年下の人たちが大ベテランである自分の“言うことを聞かない”となると腹が立つだろう。
そうなると「今の時代の若い人たちはダメだ」という気持ちにもなる。「自分が何とかしなければ」と躍起にもなる。
それが外に滲み出てしまおうものなら、若い人たちもそれを察知して「男塾」とか揶揄する。若い人たちだって「葛藤」の真っ只中にいるので冷静ではいられない。
そんな感じなのかなぁ~…って、みんなが話す横でぼんやり考えていた。
ってことは…
中年期の人と青年期の人は、あんまり一緒にいない方が良いかもしれない。
混ぜるな危険、である。
間にだれか、“冷静な”時期の人をはさんだ方が良い。
それなのに、そういえばボテチンを含む彼らの職場には、その中間層がまったくいない。というか大半が20代という大変若々しい職場である。30代と40代がちょろっと、そして管理職が数名。そんなちょっと変わった構成だ。
このちょっと変わった人員構成が今回の「ちょっと困った管理職」という認識に拍車がかかっている大きな要因なのかもしれない。
私がそこで働いていた時は、その管理職とはウマが合わないのだ、と諦めて一定の距離を保って一緒に仕事をしていたが、もしかしたらそうではなかったのかもしれない。
私の若いエネルギーが、彼の中にある何かを無駄に刺激していたのかもしれない。そして私もまた、彼の「葛藤」や「動揺」に必要以上に刺激を受けていたのかもしれない。
今会ったらまた違う関係が生まれるのかもしれないなぁ、とぼんやり思ったりもする。(まぁ、あんまり会いたくないけれど…笑)
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電車に乗ってて思ったこと
今日は普段とは異なる文体&内容でお送りします。夏休みだし。気も抜ける。←?
文章を書くためのネタがなくて困っていると、いつもボテチンが涼しい顔して言ってくる。
「この会話、書けば良いやん」
電車の中とかで話す私たちの会話をそのまま書いたらええやんっていうアドバイス。
その時は「あーね」って。
え、もう古い?あーねって、もうだめ?
まぁとにかく思うわけ。「あーね」「そーね」「なるほどね」って。
で、家に帰ってPCの前に座って、
さぁ書くぞ~って意気込んだら、もう何を書いたら良いやらさっぱり分からなくなってるんだよね。
ちょっとあれかも、記憶に難あるのかも。うん。
何言ってたのかさっぱり思い出せないわ。
そういえば昨日、久しぶりにボテチンと電車に乗って外出したんだけど、
日曜日の夜らしい、みんなちょっとおめかししてて、楽しそうで、座席はほぼ埋まってて立ってる人が数人、ってくらいの混み具合の車内で、
たまたま前の列に3人の女性が並んで座ってた。
別にグループとかではなくて、それぞれが単体で。
(この状況ってなんて言えば良いんだ?笑)
その3人はみんな20代半ばくらいに見えた。
同じくらいの歳の女性が、偶然並んで座ってたわけ。
3人とも、
肩くらいまでの髪をワンカールさせて、
あんまり濃いメイクではないけど、でもリップは流行りの赤で、
みんな顔ちっちゃくて、細身で、
服装もなんかこう、別に特定されるリスクもなさそうな、
「高見えプチプラファッション」って感じで、
可愛すぎず派手過ぎず、なおかつ地味過ぎないネイルをして、
ちょっとうつむき加減でスマホ見てて。
私、その3人が突如立ち上がってひょいひょいって席を入れ替わったとしても何も気が付かないと思う。
それくらい、目の前の3人が同じように見えた。
当たり前のように顔とか全然ちがうし、髪色だって違うのに、なんだか雰囲気全体は同じように見えて、区別が出来なかった。
別に個性が大事!とか、これが巷で良く言われる没個性だ!とか、そんなことが言いたいわけじゃ全くなくて、
ただ、なんか、、、なんだろう。
みんないっしょで、みんな良い…?
私、小学校2年生だか3年生だかの時に習った金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」がものすごく気に入っちゃって、30歳になった今でも間違わずに暗唱できるんだけど、
その詩の中で「みんなちがって みんないい」っていう最高に素敵なフレーズがあるんだけど、
昨日電車で見た、たまたま居合わせた女性3人は「みんないっしょで みんないい」だったなぁ、って。
そんなことをぼんやり思いながら今どきの可愛い女性3人を眺めてた。
そう、なんか、みんなが「過ぎて」なかった。
派手過ぎない、
地味過ぎない、
可愛すぎない(←失礼すぎる)、
ケバ過ぎない、
細すぎない、
太すぎない、
たぶん年齢も3人とも同じくらい、たぶん25歳前後。
流行の最先端すぎず、かといって時代遅れでもなく、
とにかくすべてが「良い塩梅」という感じ。
もちろん細かい違いはたくさんあって、それがそれぞれの個性を生み出しているのだろうけど、私にはそこまでちゃんと見れなかった。ってか、見えなかった。
もう私、30歳だからさ、アラサーだからさ、
めっちゃ集中しないと、もうそういう細かいところまでは把握しきれないのかもしれない。
ざくっと、まるっと、ぺろっと、さらっと全体を見ちゃってるんだな、って今これを書きながらちょっと反省した。
だめだね、簡単に「最近の若い人たちは」とかって一括りにしてしまうのは。
勝手に一括りにすんな!ってあれだけに思ってたのに、
いざ自分が歳を取ってみて、自分のキャパを超えたものを見た時に、今までの人生で作ってきた数少ない箱の中に収めようとしちゃってる。
これからも箱はどんどん作っていきたいのに、
作った箱に満足して、それですべてを片付けようとしちゃってる。
あー、やだやだ。
自分の無意識が怖いわ。
気を付けないとなぁ。
ってかさ、、、、今ちょっと恐ろしいことに気付いてしまったのだけど、
これってもしかして、
MステでAKB見た母親が
「なんか、みんな一緒の顔してるな~」
って言いながら煎餅食べてたのと同じ現象なのか!!!!!!!?!?!!!!
まじかぁ~、歳取るってこういうことかぁ~。
ほんと、まじで、気をつけよ。
不登校のタイプ
公立の中学校でスクールカウンセラーをしているので、不登校のお子さんやその親御さんとも関わることが多い。
不登校と一口に言っても色んなタイプがいるが、ざっくり分けると2種類あるような気がする。
それは、学校よりも楽しいところがあるタイプと、学校に行きたい気持ちはあるけど行けないタイプ。
専門家同士の話し合いとかだと前者を「反社会的」、後者を「非社会的」なんて言ったりもする。ちょっと誤解を生みそうな言葉ではあるが、心理士同士だと特徴を捉えやすいという一面もある。
スクールカウンセラーとして会うことが多いのは断然【学校に行きたいけど行けないタイプ】の生徒が多い。
学校より楽しいことがあって不登校になっているタイプの子たちは、たまに学校に来て、たまにスクールカウンセラーに会って「元気にしてた~?聞いてよ~、この前彼氏と喧嘩した~!!」なんて愚痴って、そして元気に帰っていく。学校のことを、知っている大人がたくさんいるちょっと大きめの家、くらいに思っているような節がある。
基本的に学校に真面目に通っていた私からすると、彼らのそういう姿を見ると『こういう生き方もあるのか~』としみじみ関心する。なんだか強くて頼もしい。ただ、やっぱり非行に走ってしまう(流されてしまう?)子も多いので、一概に「強くて頼もしい」とも言えないのだが…
一方、学校に行きたい気持ちがありながらも様々な理由があって学校に行けないでいる生徒には、先ほど述べたような強さはない。
強くないわけじゃない。むしろ、我が強いタイプが多い印象がある。
強みを活かしきれていないというか、強みが逆方向に向いてしまっているというか、なんというか…一言でいうと「見ていて歯がゆい」。
それくらい、何かきっかけさえあればうんと強くなりそうな、そんな気配がしてならないのだ。
でもきっと、誰よりも一番歯がゆいのは本人だ。
夏休み真っただ中。彼らはどういう夏を過ごしているのだろう。